ぴりっとしない黄金週間

GWは好天に恵まれて…というのが先週の予報だったけれど、東京も横浜もぴりっとしないお天気。


空模様と同様に私自身もどうもぴりっとしないものだから、喰い物でカツを入れようと四川料理のランチ。「水煮牛肉」という、(水じゃなくて)ラー油で牛肉やモヤシを煮たような料理。唐辛子も花椒もたっぷりで舌がビリビリ痺れて旨い。


……のはいいんだけれど、
レジで店員と留学生らしき客が中国語で会話してるのを聞いてたら、ああ…もしかしたらこのヒトたちも週末にバスで長野まで繰り出したり、「ワン・チャイナ!」なんて叫んだりしたのかなぁ……なんて考えたりして。ともかく今日はこの店に来ないほうがよかったな…と後悔。


書いてるこっちのほうがイヤな気分に満たされてしまうから多くは書かないけれど、まったくじつに情けないよな…と心底そう思う。情報統制&情報操作されている祖国の人々ならともかく、さまざまな情報が入手できる国外に出てもなお、自分たちの祖国が如何にいびつな状態になっている現実を理解できないのか? チベットをはじめ少数民族に対してどれだけ酷いことをしているか…気づいてないの? わざと見ないの? なんで見ないの? イヤがる人々をムリヤリ抑えつけて「我々はひとつ!」って叫ぶことがどれだけカッコ悪いことか、国外に出てすらも気づかないの? それじゃ嫌われないほうがおかしいじゃん。 


今日の昼メシはものすごく不味く感じた。レジの店員や留学生の客が週末に本当に長野で「ワン・チャイナ!」と叫んでた…なんてことは多分ないだろうけれど。……それでもやっぱり。


当の国民はまるっきり気づいてないんだろうけど、カルフールに対して抗議行動&攻撃したのは、ものすごく象徴的で滑稽だ。現在の民主主義が世界に広がる端緒は、カルフールの母国で起こったフランス革命だったりナポレオン法典だったりするワケだから。


近代的な民主主義の考えや運動が起こってから200年以上経っても、まだまだ「平等」とか「人権尊重」とかの意味も理由もわからない人々が世界中にあふれかえって、しかも無知蒙昧なまんま偉そうに自己主張ばかりしてる……グローバルなんとかなんて言ったって、世の中まだまだ全然ダメじゃん。嘆息。


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殺された赤ちゃんの数を「0.5人」とカウントした青学の准教授:瀬尾佳美にもやれやれだ。
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/local/yamaguchi_hikari_murder/?1209378165


0.5人と数えたのは小さい赤ちゃんだからという意味じゃなく、赤ん坊はすぐ死ぬから過失致死の可能性も捨てきれないので殺人=1に対して0.5として計算…という弁解をしてるのもものすごいけど、このバカのトンデモ発言は、それだけじゃない。自分がイチバン偉いと信じ込んでる“オレ様”発言のタレ流し。そんなくだらない世迷い言を得意げにひけらかすために、いくつもタレ流しブログを興していた……これは処分されて当然だろ。まとめサイトに目を通してもらえばわかるけど、問題は「0.5人」云々どころじゃない。


瀬尾佳美の、暴言をまとめたページ:http://www.wikihouse.com/seo/index.php?%C2%BE%A4%CE%CB%BD%B8%C0#t3a973a5


子どもがとにかく大嫌いだということを繰り返し繰り返し宣言するためにつくったかのような本人のブログ:http://blog.livedoor.jp/kseo33jp/



いろいろ追っていくとこの瀬尾佳美は小さな子ども&専業主婦が大嫌いで、なぜ大嫌いかといえば小さな子ども&専業主婦イコール害悪だとみなしているからであり、なぜ小さな子ども&専業主婦イコール害悪とみなすかというと、瀬尾佳美本人が小さな子どもでも専業主婦でもないからだ…ということがはっきり見てとれる。そして、その独善的な視点は見事なほど徹底されている。揺るぎない。その揺るぎない視野狭窄な価値観に基づいて、亡くなられた子どもも亡くなられた専業主婦も、生きている子どもも生きている専業主婦も、徹底して侮辱する。嘆息。


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とにもかくにも、ぴりっとしないGWが始まった。明日からこそ行楽日和…と夕方の天気予報は言うが、信じていいのか?

死刑制度に反対しません

バリバリのハト派の私ではあるけれど、死刑判決は当然だと思う。

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<光母子殺害>元少年に死刑判決 裁判長は新供述「不自然不合理」、情状「斟酌する理由みじんもない」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080422-00000006-maiall-soci

山口県光市で99年4月、母子を殺害したとして殺人と強姦(ごうかん)致死罪などに問われた当時18歳の元少年(27)に対する差し戻し控訴審の判決公判が22日午前、広島高裁であった。楢崎康英裁判長は「強姦の目的や計画性も否定できない」として、求刑通り死刑を言い渡した。元少年が差し戻し審になって新供述を展開したことを「不自然不合理」とし、弁護側が主張した情状面について「斟酌(しんしゃく)する理由はみじんもない」と述べた。(以下略)
毎日新聞>YAHOO!のニュースより

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オマケで卒業させてもらっただけとはいえ一応法学部出身だったりする私は、学生時代にゃ死刑制度に反対だったけれど、「死刑になっても当然なほど更生の見込みゼロな狂人は現実には確実に存在する」という認識の下、今では死刑制度の維持に賛成だ。という以上に、死刑が決まったらそんなヤツはさっさと処刑してほしいと思う。我々の税金でそいつらにメシ喰わせて生かしているのすらイヤだもの。


殺人事件の被告に更生の余地があるかどうかなんてことも、ホントはどうでもいい。殺人者が改心したところで被害者の命が生き返るワケじゃないんだから。「昔は殺人鬼だったけれど、刑務所ですっかり心を入れ替えた現在では聖職者です」なんてヤツがいたとしても、私が被害者の遺族だったら、そいつを絶対に許せないと思う。自分の大切な人の命や人生は、クソ殺人鬼の人生を変えるためのパーツに過ぎなかったというのかよ…と屈辱感に打ちのめされるにちがいない。


死刑反対論の論拠のなかには、「えん罪で死刑判決を受けた者もいるかもしれない」なんてのもあるけれど、それは問題のすり替えだ。えん罪事件・えん罪判決をこそなくさねばならないことであり、それが「死刑はよくない」理由にはならない。
また、「死刑は国家による“殺人”だ」という意見もあるけれど、それはまったくその通りだと私も思う。人を殺めるのは悪いことだ。だから国家や国民は、死刑にしなければならないほどどうしようもない鬼畜であろうと、その鬼畜を殺すことに対して、責任と覚悟を持つべきだ。……でも逆にいえば、責任と覚悟さえ持てばそれでいいんじゃないのか。


ただそうは言っても、どんな鬼畜であれ死刑を要求するのがものすごくイヤな気持ちになるのも確かだ。


そこで提案なんだけれど、
「死刑」の代わりに「リサイクル刑」を導入するのはどうだろう? 

死刑に相当する受刑者には、とりあえず生きることはもうやめてもらって、臓器や角膜や血液や皮膚など、活用できるものはすべて一片も残さず、移植手術を待っている善良な国民のために利用させていただくのだ。


どんなに心が歪んでいても、もしも肉体のほうが健康だったら、処刑して肉塊として廃棄したんじゃモッタイナイじゃん。だから「リサイクル」刑。名前もエコっぽい響きだから、国民の高い好感度を得られそうじゃん……てのはブラックな冗談だけど、極悪な死刑囚を刑務所で生かしとくよりも、うまく動かない臓器に苦しむ人々が元気になるほうがずっといいじゃん。そう思うのは私の本音の中の本音。

「罪を憎んで人(体)を憎まず」だ。


もちろん殺人鬼の臓器なんか移植されたくない…と考える患者さんもいるだろうし、それは当然その気持ちを尊重すべき。だけど、重篤な事態に陥っている患者さんの多くは、おそらくそんなセンチメンタリズムどころじゃないんじゃないかな。


そんな患者さんの命と、極悪な死刑囚の命とどちらを優先するべきか?
…なんてもし訊かれたら、それって答えに窮するような質問ですか?

地球は生きている

Tuduki2008-04-17

じつは最近、いろいろ思うところがあってスキンヘッドにしてみた。


「思うところがあって…」なんて書くと如何にも思わせぶりだけれど、非常に個人的な理由なのでここに書くわけにはいかない。ひっそり胸の奥にしまっておくことにする。ともかく雑念を払い、気持ちを引き締めた私なのだ!


酔っぱらってひとりでふざけてシェイバーで丸剃りしたことは過去にもあったけれど、継続するのは今回が初めてのこと。とはいえ、今までも週イチで床屋に通って超短髪のバリカン丸刈りをしていたので、見た目にはさほど変化はない。ちょっとしたマイナーチェンジといったところだ。知り合いなどでも、変化に気づかないヒトは多いんじゃないかな。

……なんて思っていたのだけれど、ところがどっこい。
超短髪と丸剃りでは意外なところに違いがあって、本人としては驚くことしきりなのだ。


イチバン驚いたのは、なんといっても「ムキ出しになった頭皮が敏感すぎること」だ。
自分で剃るときに、後頭部の剃りムラがないか確かめるために自分の掌を当ててみるのだけれど……そのたびに背筋がゾッとする。私自身の掌だというのに、頭皮に直接ひんやりした異物が触れる感触がものすごく気持ち悪いのだ。肌と肌が直接触れあう感触って、手を繋いだりとかキスしたりとか例のアレだとかを示すまでもなく、全面的に「本能的にキモチのよいこと」だと思っていたのだけれど、どうやら頭部にとってはそうではないらしい。使い慣れた枕の上にアタマを置くときさえも、神経が昂ぶるのを感じる……動物が身構えるみたいに。


他にも驚いたことはいろいろあるのだけれど、やってみないと実感できなさそうなことばかりなので、2番目以降は今日の処はパスだ。……ああ、あと見知らぬヒトが私を見てギョッとした顔をしたのが2回ほど。この2週間ほどの間でだ。まあたまたまかも知れないし、ギョッとした理由がスキンヘッドのせいじゃないかもしれない(たとえばズボンのチャックが全開でしかもパンツも履き忘れてたetc.)けれど、どんなに短くても髪があるのと全然ないのとでは、大きな隔たりがあるのかなぁ…と思った。「0」と「1」の間の隔たりのように。「無」というものはひたすら「無」なのだなぁ……なんて少々数学的&哲学的に、そう思った。


……ところで、
地球の全周は赤道部分で測ると約4万kmになる。そして地球を取り巻く大気の厚さは約100kmとされている(=実際には500kmくらいまでモヤモヤと薄い大気があるそうなのだけれど、それを考えるとめんどくさくなるので便宜的に大気圏100kmの外側は宇宙空間とされているのだ)。つまり、地球の全周と大気の厚さの比はだいたい400:1くらいということになる。

翻って……
私の帽子のサイズは57cmである。大雑把に見れば、これが私の頭の全周の長さだ。そこで、私のアタマを地球に見立てて、大気圏を髪の毛の長さで表現してみると……57cmの400分の1だから、長さ1.425ミリのボウズ頭がちょうど、地球の大きさと大気圏の厚さのミニチュア模型に相当することになる。


定規で確認するまでもなく、これは相当に短い。中高の野球部員の「五分刈り」と呼ばれる一般的なボウズ頭の、たった1/10の長さ。「五厘刈り」だ。最近増えたオシャレボウズな若者の中でも、かなり気合いの入ったふうに見える髪の短さだ。


頭を地球に見立てると僅か1.4ミリにしかならないような薄っぺらい大気圏に、我々の地球はしっかり守られているのだ。もしも大気がなくなって、地球が素肌ムキ出しのスキンヘッドになったらいったいどんなことになるだろうか……


今日の結論。「オゾンホールは地球にできた10円ハゲである」 
……てのはやっぱり間違った喩えだけれど、紫外線や他人の視線をムキ出しの素肌で無防備に浴びるのはやっぱり非常によろしくない事態なんだろうなぁ。それから、そんな僅かな“髪の毛”が汚染されちゃうのも、やっぱりイヤだよなぁ。

汚れた髪は洗うべきだ、10円ハゲなら治るように丁寧なケアを!


……なんて具合に、勝手に地球にシンクロニシティしてしまう昨今なのだ。