死刑制度に反対しません

バリバリのハト派の私ではあるけれど、死刑判決は当然だと思う。

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<光母子殺害>元少年に死刑判決 裁判長は新供述「不自然不合理」、情状「斟酌する理由みじんもない」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080422-00000006-maiall-soci

山口県光市で99年4月、母子を殺害したとして殺人と強姦(ごうかん)致死罪などに問われた当時18歳の元少年(27)に対する差し戻し控訴審の判決公判が22日午前、広島高裁であった。楢崎康英裁判長は「強姦の目的や計画性も否定できない」として、求刑通り死刑を言い渡した。元少年が差し戻し審になって新供述を展開したことを「不自然不合理」とし、弁護側が主張した情状面について「斟酌(しんしゃく)する理由はみじんもない」と述べた。(以下略)
毎日新聞>YAHOO!のニュースより

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オマケで卒業させてもらっただけとはいえ一応法学部出身だったりする私は、学生時代にゃ死刑制度に反対だったけれど、「死刑になっても当然なほど更生の見込みゼロな狂人は現実には確実に存在する」という認識の下、今では死刑制度の維持に賛成だ。という以上に、死刑が決まったらそんなヤツはさっさと処刑してほしいと思う。我々の税金でそいつらにメシ喰わせて生かしているのすらイヤだもの。


殺人事件の被告に更生の余地があるかどうかなんてことも、ホントはどうでもいい。殺人者が改心したところで被害者の命が生き返るワケじゃないんだから。「昔は殺人鬼だったけれど、刑務所ですっかり心を入れ替えた現在では聖職者です」なんてヤツがいたとしても、私が被害者の遺族だったら、そいつを絶対に許せないと思う。自分の大切な人の命や人生は、クソ殺人鬼の人生を変えるためのパーツに過ぎなかったというのかよ…と屈辱感に打ちのめされるにちがいない。


死刑反対論の論拠のなかには、「えん罪で死刑判決を受けた者もいるかもしれない」なんてのもあるけれど、それは問題のすり替えだ。えん罪事件・えん罪判決をこそなくさねばならないことであり、それが「死刑はよくない」理由にはならない。
また、「死刑は国家による“殺人”だ」という意見もあるけれど、それはまったくその通りだと私も思う。人を殺めるのは悪いことだ。だから国家や国民は、死刑にしなければならないほどどうしようもない鬼畜であろうと、その鬼畜を殺すことに対して、責任と覚悟を持つべきだ。……でも逆にいえば、責任と覚悟さえ持てばそれでいいんじゃないのか。


ただそうは言っても、どんな鬼畜であれ死刑を要求するのがものすごくイヤな気持ちになるのも確かだ。


そこで提案なんだけれど、
「死刑」の代わりに「リサイクル刑」を導入するのはどうだろう? 

死刑に相当する受刑者には、とりあえず生きることはもうやめてもらって、臓器や角膜や血液や皮膚など、活用できるものはすべて一片も残さず、移植手術を待っている善良な国民のために利用させていただくのだ。


どんなに心が歪んでいても、もしも肉体のほうが健康だったら、処刑して肉塊として廃棄したんじゃモッタイナイじゃん。だから「リサイクル」刑。名前もエコっぽい響きだから、国民の高い好感度を得られそうじゃん……てのはブラックな冗談だけど、極悪な死刑囚を刑務所で生かしとくよりも、うまく動かない臓器に苦しむ人々が元気になるほうがずっといいじゃん。そう思うのは私の本音の中の本音。

「罪を憎んで人(体)を憎まず」だ。


もちろん殺人鬼の臓器なんか移植されたくない…と考える患者さんもいるだろうし、それは当然その気持ちを尊重すべき。だけど、重篤な事態に陥っている患者さんの多くは、おそらくそんなセンチメンタリズムどころじゃないんじゃないかな。


そんな患者さんの命と、極悪な死刑囚の命とどちらを優先するべきか?
…なんてもし訊かれたら、それって答えに窮するような質問ですか?