親はなくても子は育つ …としても

Tuduki2007-11-02

私の属する出版ギョーカイは、(細部では異論があるとしても原則的には)男女平等が徹底されているので、第一線で活躍する女性が大勢いる。そのため、結婚して子どもが産まれても、1年もすれば我が子を託児所などに預けて、現場に復帰する女性がとても多い。


そのこと自体は、個々のライフスタイル〜生活様式や生活事情から生き様まで幅広い意味で〜に関わることだし個々の意思を最優先に尊重すべきことだから、他人様に私が言うべきことなんか何ひとつない。女性のより一層の社会進出を歓迎すべきだと思うし。けれど、そういうバリバリ現場主義のママさん編集者に限って、「結局、育児ってのはさァ…」と知ったふうな口をききたがる傾向が強いことには、正直イラッとする(笑)。そりゃモチロン、クソ忙しいだろうに寝る間も惜しんで仕事・家事・育児すべてやりくりつける姿勢は尊敬するよ私も。だけど、託児所に協力をあおがざるを得なくて、子どもの一瞬一瞬の成長を見守っていけないアンタが、上から目線で育児論を語るなよ!…とはやっぱり思ってしまう。


隅っこで小さくなってろよ!…なんて言うつもりは毛頭ない。ただ単に、黙ってりゃいいのだ。なのに、なんで語りたがるの?…と思うだけだ。それなのに、あろうことか「結局、育児ってのはさァ…“量より質”なのよね」なんて言い出すママさん編集者までいたりして。休日だけはつきっきりでベッタリ子どもの相手をしてあげてる状態をそう言ってるつもりかも知れんが……ご冗談言いなさんなよ。育児の真髄が「量より質」なんかであるワケないじゃん。もちろん「質より量」のハズもない……「量も質も」両方ともに決まってんじゃん! 現実には働きながら「量も質も」なんて出来るワケないから、託児所だとかに頼るワケだけれど、ママさん自身ががんばってるのはよく判るけれど、同時に子どもたちの「ガマン」なければ成り立たないということを自覚するべきだ。子どもは「ガマン」している…本当にガマンしている……ダイジェスト版の育児なクセに、自分の大活躍を自画自賛している場合かよッ!


……なんていうふうに思って、以前はムカついていたのだけれど。
だけど、3人目の子どもを育てて(といっても私の育児参加だってたかが知れてるけど)いる最中に、そういう御立派なママさん発言にムカムカすることが、まったくなくなった。今はそんな得意げなママさん発言を聞いても微笑ましく思うよむしろ。


だってさ……私が怒ってる理由や意味なんて、彼女たちが理解できるワケないんだもの。
おんなじ「育児」という言葉を用いていても、その単語に含まれるものが違いすぎるから。


ガリレオ・ガリレイが初めて望遠鏡で空を覗くまで、人類は土星に輪があることを知らなかった……あれとおんなじだ。実体験するまでは想像すらできないほどの、理解の範疇を超えた事象って、世の中には多々あるものだから。土星の輪の存在を知らなかった時代の人が、自分の知っている範囲内で土星についての知識を得意げにひけらかしたところで、それを愚かだなんだと現代人が批難するのもまた、愚かしいことだ。
……なんて書くとものすごくエラそうだけど、実際かつては「我が家のほうが子育て力のレベルは高いぞ」なんて思っていたから、自分がたいしたことないことに気づかず育児論をぶつ働きママたちにムカついてたんだろうなおそらく。だけど、3人目が産まれて育児参加しているウチにどんどん気がついてきた。「ああぁ……オレもちっともわかっちゃいない」と。


ガリレオ・ガリレイ土星の輪を発見したけれど、彼もまた、当時の性能の低い望遠鏡ではそれがリングであることまでは認識できなかった。彼は「土星には“耳”がある」と記したそうだ。……私だって、それとおんなじだ。託児ママより多少は育児についてわかっていたとしても、偉ぶれるほどのもんじゃない。4人目が産まれて、ますます実感した。「ああぁ……オレは本当にわかっちゃいないなぁ…」と。


謙虚になれずに、育児論を語れると思っているうちは、本当にまだまだなんだなぁ…と思う。働きママに対してでなく、自分自身のこととして、そのように自戒する。


※ところで、
再来年2009年は、ガリレオが望遠鏡を星々に向けてからちょうど400周年なんだとか。
それを記念して2009年を「国際天文年」と名付け、世界規模でいろんな企画があるらしいスよ……日本でも、水面下でいろいろ準備中らしいというウワサを聞きました。……科博でガリレオ展でもやるんだろうか?