恋の季節なの

Tuduki2005-03-24

春が来た。春といえば、恋の季節だ。「するってぇと、らぶかい」「あたぼうよ、らぶらぶでぃ」てなもんである。

夏は夏でピチピチやムキムキの裸を露出して恋の季節だし、秋は秋で感傷的で人恋しいから恋の季節だし、冬は冬で寒いからぴったり密着してしまい恋の季節ではある。しかし、「恋の季節の王者」は紛れもなく春である。そう断言できる理由は、社会全体が「恋のはじまり」をわざわざ提供してくれる季節が春だけだからだ。

夏の海や秋の並木道や冬の雪山などで、なんの臆面もなく見知らぬ異性に声をかけることができない紳士淑女のために、学校でも会社でも、新鮮とれたての異性と出会いの場をわざわざ提供してくれる……それが春だ。また街に出ても、新しい環境にやってきたばかりの異性に「どうしましたか?」とフランクに優しく声をかけ、コンビニの場所や地下鉄の乗換ルートや自動改札の通り方やスクランブル交差点の渡り方をフレンドリーにガイドしてあげられる恋のチャンスがてんこ盛り……それが春なのだ!

【恋心は、告白するべきか?するべきでないか?】というありがちな恋のお悩み。
私なりの答えは、思春期のころからずっと《どっちでもおんなじ》だった。告白してしくじれば「やっぱり言わなきゃよかった」と後悔するハズだし、告白しなきゃしないで「あのとき気持ちを伝えておけばよかった」とやっぱり後悔するはずだから。理論的には、結局どっちに転んでも後悔するのだ、だからその場の成り行きにまかせればよい…と、そう思っていた。

けれど今なら、本当は《告白するべき》が正解だったことがわかる。
自分の気持ちを心の引き出しの奥に大切にしまうのも結構なことだが、それじゃあそれっきりで終わりだ。ときどき思い出しては、切ない気持ちをよみがえらせたり「やっぱり告白していれば…」なんて後悔してオシマイ。けれどもし積極的にアタックしていれば、しくじったとしても…いやしくじればしくじるほど、その直後は死にたくなるほど後悔したとしても…………年月を経ていずれはオイシイ“ネタ”になる。

恋の失敗談は楽しい。他人様の失敗を聴くのも、自分の失敗を披露するのも、おしなべて非常に楽しい。恋の失敗談はすぐれた酒の肴のひとつといえる。若いうちにもっといっぱいいっぱい告白したりデートに誘ったりして、もっといっぱいいっぱいしくじっとけばよかった……そうやってネタの種を蒔いとけば、いまごろ「恋の失敗ネタ」大豊作だったろうに。それこそが、現在の私にとっての後悔である。


「いや私だってまだまだ! 今年の春は恋の種を蒔きますよ!」……などと書いて文を〆ると、万一これを妻が読んだ場合に、熟睡中に金属バットで額を割られたりするので、書きません。蒔きません。