映画『天然コケッコー』を鑑賞

Tuduki2007-09-01

8月最後の日、映画『天然コケッコー』<http://www.tenkoke.com/>を観た。


原作を強く愛するが故に、イメージが壊されていることを怖れて映画を観るのに躊躇していたhttp://d.hatena.ne.jp/Tuduki/20070728のだけれど、脚本が渡辺あやだということを知って、がぜん観る気マンマンに。脚本デビュー作の『ジョゼと虎と魚たち』からいきなりインパクトの強かった彼女は、しかも『天然コケッコー』の舞台&ロケ地にもなっている島根県に現在在住だってんだから期待もいっそう高まろうってモンだ。
9月になればウチの近所のシネコンでも回されるし、都内上映館は3か所とも上映ラインナップはいいけど視聴環境がイマイチのハコばっかりだったんだけど、観ると決めればやっぱりなんだか夏気分が消えないうちに観たくなって、8月最後の新宿武蔵野館にとびこんだ次第。


とてもキモチのよい映画でした。

主人公・右田そよを演じる夏帆の瑞々しいこと! そのピュアな存在感だけで十分、映画として成立している感すらも。まだなにものにも染まっていない〜“真っ白”どころか“透き通っている”とでも言いたくなるような清涼感は、あの年代のあの瞬間特有のものなんだろうなぁ……素晴らしい一瞬を切り取ってもらってよかったねェ。


とある寒村の中学生の日常を淡々と追っていく物語。各々のエピソードは原作くらもちふさこのマンガをほぼ忠実になぞっていて、エピソードひとつひとつが取り立てて次への伏線になることもなく淡々と独立しているのも、原作が読み切り連載だった様子を忠実に再現しているといえる。……でも、その手法がなんだか原作マンガ以上にしっくりしたので驚いた。


私はこの映画の物語の紡ぎ方を観て、ひと昔前の家族写真を思い出したのだけれど。それがどういうことかというと……ほら、ちょっと前までフツーの家庭でのカメラの使い方なんて、1年くらいかけてようやくフィルム1本を使い終わる感じだったじゃないですか。正月や花見や運動会やお誕生会なんかのたんびに少しずつ撮ってるんだけどなかなか使い終わらなくて、ようやく撮り切って現像に出してプリントされてきた写真を観ると、「わぁ、そういえばこんなことあったねぇ…」と忘れていたその時の記憶が急にハッキリ甦ってきたりして。でもってそのフィルム1本が、もともと意図していたワケではないのに、しっかり家族の1年間の記録として新たな物語性を帯びて見る者に語りかけてくるような……そういう気分に似ているなぁと思いました私は。


また、原作マンガでは主人公のモノローグが印象的なんだけれど、モノローグなしでも十分に語りかけてくるんだから映像の力はスゴイなぁ…とも。心情をいちいちうるさく説明するセリフや扇動的なBGMもなく、映像そのものが語ってくれるのに任せてくれるキモチ良さは、山下敦弘監督の演出の功績なんでしょうか? ……そういう感じも、家族の写真とか未編集のホームビデオを眺めてほのぼのする感覚に近い。


淡々と流れて淡々と終わるこの映画は、観客を懐かしいキモチにさせてくれる。

でも……………………だからといって、
今さら中学生くらいのあの頃に戻りたいだなんてふうには、思えないよなぁ。神様に「あの頃に戻って人生をやり直させてやるぞよ」と言われても、なんかヤだ。それは私に限らず、たいていの人々もそうなんじゃないかと思う。だって……高校から先、どんどんいろんなことに苦しんだり悩んだりしていくことを知ってるじゃん我々オトナは。もう1回やり直したからって、その苦しさや悩みから逃げられるなんて思えない。だったらもう1回アレを経験するのは、私はヤだよ。辛くてきつくて…しかも自分自身が汚れて堕ちていくような思春期のキモチは、1回経験すればもう十分だ。


だからこそ、もう二度と手の届かない…いろんな色がついてしまう前のあの頃のキモチが、懐かしかったり愛おしかったりするんだろうな…と私には思えるのだ。


……ついでに、主役を演じた夏帆ちゃんだって、数年後にはいろんな色がついちゃって、もしかしたら【クイズ!ヘキサゴン】でオバカの最下位争いをするグラビアアイドルになってたりしてなぁ…なんて危惧までしちゃうのだな私は(笑)。

※なんて思ってニヤニヤしてたんだけど、ウィキペディアを見たら、数学が苦手でさらに[life]という英単語が読めなかったという“実績”がすでにあるんだとか……う〜む、「嫌な予感がする」by SW(笑)