夏が終わればセミの命も終わる

Tuduki2007-08-31

寝苦しい熱帯夜に。
バリバリと騒音を撒き散らす改造バイクが、閑かな住宅街に紛れ込んできた。明らかに原チャリであることがわかる、高音でカリカリ響く安っぽいノイズ。


この音の感じってなんだか……セミみたいじゃねェ? そう思った。


そう考えてみると……なるほどたしかに、彼らはセミだ。
どんなにウワンワン騒いでたって、20歳を過ぎてまでそんなの続けるヤツはいない。
本物のバイク好きや仲間を仕切れる才能があるほんの一部の連中を除いて、
彼らの夏は…人生のピークは、今ここであっという間に終わるのだ。

そんなふうに“セミ”たちのことを考えたら、
ケーサツに通報する気もすっかり失せるってモンだ(笑)。



……まぁ、
彼らのことを“上から目線”で見ているのは失礼かも知れないけれど、そうは言っても連中とは対等な立場なんかじゃないことも確かだから。私は明らかに、あの子たちのことを“親の目”で見ている……ウチの息子たちだって数年後に“セミ”たちの側にいないとも限らないし。


余計なお世話なのは承知だけど、騒音バイクの子たちを見かけるたびに、なんだかかわいそうに思えてしまう私だ。


「より速く、より強く、より遠く」みたいなアスリート精神でバイクを改造するんなら私も納得できるのだけれど。まだ見たことのないより高次の世界を目指す姿は、それがどんなジャンルの挑戦であっても美しい。けれど、単に排気ノイズを騒々しくするための改造って、いったいなにが楽しくてそんなことするんだかなぁ?…なんて思ってしまう。

でも正解をホントは知っている。彼らはああして大きい音を出していないと怖いのだ…きっと。
授業中はもちろん放課後も……それに運動会や文化祭のときでも、目立って注目を浴びるチャンスが一切ないんだろうなぁ彼らは。そうして大勢の中に埋もれてしまって忘れ去られてしまうのが怖くて、大きい音を立てるのだ……必死になって。あの無意味に思える騒音は、「ねぇ、みんな! ボクはここにいるよ! ボクのことを見てよ!」という合図なのだきっと。赤ちゃんや幼い子が周囲にかまってほしくて泣く声とおんなじだ。


彼らを見下して、こんなこと言ってるワケじゃない。
やがて彼らもおとなになって気づくだろう……世の中は“大勢の中に埋もれてしまって忘れ去られている”人々のほうが当たり前なのだ…ということに。それからまた気づくだろう……そんな世間に埋もれた自分のことを、忘れないでしっかり見守ってくれてる人〜たとえば親、たとえば親友、たとえば恋人〜たちが存在するということにも。


私は暴走族はキライだし、ちゃんとした暴走族にすらなれないあの子たちはさらに情けないと思う。だけど同時に、注目してもらうためだけにエネルギーを注ぐ青春を、ものすごくかわいそうだとも思うのだ。
ともかく夏はまもなく終わる。あの子たちの“夏”もまもなく終わるのだ……



なんてことを、40過ぎても“残暑”気分で毎日を過ごしてるオレが書いちゃうのは
やっぱり「上から目線」だよなぁ……なにを偉そうに(笑)。