望郷の念

Tuduki2007-08-13

全国的にお盆休みだけれど、いよいよ四男の臨月が近くなったために早めに夏休みをとった私はフツーに仕事。


最寄り駅までの自転車ルートから見た東名高速は、今朝も早くから帰省ラッシュの大渋滞。犬の散歩中の人たちも足を停め、ニヤニヤと渋滞を眺めている。


こんな大変な思いをしてまでも故郷に帰りたいモンなのかねぇ?…とも思ったりするのだけれど、やっぱり帰りたいのだろうな。早くも今日からUターンラッシュが始まるそうだし、かわいそうな交通事故もいくつも起きているようだし、帰省&Uターン渋滞に挑まれる方々は充分にお気をつけください。


自分自身が生まれ育った横浜市に住み続けている私だけれど、育った故郷には正直ほとんど思い入れがない。ヨコハマが大好きなので、港町横濱が生活圏・行動範囲内になる土地で暮らしたいとは望んでいたけれど、実家のそばに住みたいなんて思ったことは一度もない。私は長男だし、妻の実家も横浜市内にあるので、両方の親が年老いてなにか問題が起きたときにすぐ駆けつけられる距離に住んでいるべきだろうな…という事情もあって同じ横浜市内に住んでいるけれど、親が今も住む“実家”について、それ以上の感情〜特にウェットな思慕みたいなものは微塵も感じたことがない。


私が育った(そして現在も両親が暮らす)のは、高度経済成長期に建設された典型的な大規模集合住宅。我が家はいわゆる「団地族」だった。同じような世代の家族が大勢で住み着いたものだから、同じような年頃の子ども達が大勢いた。そして大勢でいっしょに成長して、“同じ団地”という絆で結束も強い我々は、(個々の程度の差こそあれ)大勢でいっしょに不良化していった……私の育ったのはそんなところだった。当時はどこの団地も似たようなものだったろう…だって近隣の団地の連中とのケンカが珍しくなかったから。それはつまり、隣には隣の「“同じ団地”を基盤にした不良化集団」が存在したってことだ。


私の世代は暴走族がまだまだ“活躍”していて、中学生当時に本だか雑誌だかで、各地の暴走族が何グループも掲載された写真集が発売されたことがあったのだけれど、そのころ地元で名を馳せていた暴走族のページには、すぐ上の先輩たちが何人も登場していた。「カッコイイなぁ… ○○先輩!」てな具合に、私の同級生たちは羨望のマナザシで先輩の“雄姿”を見つめていた。中学を卒業して後、同級生の何人かは実際にその暴走族に入り、また他の多くが暴走族に入らなくても400ccくらいの中型バイクを改造して乗り回すようになった(そういや私の弟もそうだ)。……けれど、あいにく私はどうもそういうのに馴染めなかった。はぁ? 暴走族がカッコイイ……ふぅん。


私はまァそんな“同じ団地”の仲間とつきあいながらも、悪い遊びにはあんまり染まらずに暮らしていたせいか、高校に入って以降、地元の仲間とはだんだん疎遠になっていった……まァ仕方ないことだけれど、その頃から「オレはここにずっと居続けちゃいけない、でないとオレ自身が駄目になる…」なんて感じるようになっていった。早く大人になってさっさと町から出て行きたかったのだ。嫌いだったんだよなぁ……あの故郷が。

数年前から年に2〜3度、同級生10数人の呑み会が行われるようになって、私もたびたび参加する。小学生のころから知ってる仲間と呑めばもちろん楽しいんだけれど…やっぱりところどころで微妙な温度差を感じてしまうのも本音だったりして。


そんなワケで、
同じ横浜市とはいえ、文化圏も生活圏も使う電車もターミナル駅もまったく異なる港北ニュータウンを住まいに選んだ次第である。


……のハズだったのだけれど、
港北ニュータウン界隈の道路や地下鉄がぐんぐん整備されてみたら、故郷から遠くに越してきたつもりが実際にはほんの目と鼻の距離だった。某社のルート検索で調べたら、現在では自宅と実家までの距離はたったの6.7キロ……ってことは徒歩でも2時間弱で帰省できるのかよ!? なんだか“釈迦の掌の上の孫悟空”感……(笑)



……そしてさらに、
先日、故郷の団地のすぐ近くに、なんと弟が家を購入した。弟の子どもは、我々と同じ小中学校に通うことになる。私とちがって弟は、あの故郷の町が好きだったのかな?…好きだったんだろうな。それから、生まれてこの方ずっと横浜の周りでしか暮らしてない私とちがって弟は、転勤で関西で暮らしてたこともあるものだから、私よりももっと多角的な視点で故郷を見てきたのかもな…という気もする。