「青春」はすなわち「海」だ!

Tuduki2007-08-08

去年の今頃のクルマの中では、子ども達のリクエストで米米CLUBばっかり聴いていたけれど、今年の子ども達はFLYING KIDSを大合唱。
「ガードレールにィ もォたァれて〜♪」と大声で騒々しいこと(笑)。
来週末に北海道で再結成LIVEをやるらしいけれど、東京でもやってくれないモンかなぁ……


そんな折、CD(と子ども等の大合唱)を聴いていた妻が、
フライングキッズってどこの出身なの?」と。
「たしか北関東のハズだよ。群馬だったかなぁ?(注:正解は栃木でした)」
私がそう答えたら、「え〜、それはゼッタイあり得ないでしょ」とまったく信じない。

「だって歌詞に、“波乗り”とか “サーフボード”とか“港”とかいろいろ出てくるじゃん。
群馬(注:本当は栃木でした)で育ったヒト達がそんな歌をつくるハズないじゃん」と妻。
「もし本当に海ナシ県で育ったくせに空想だけでそんな曲を歌ってたら詐欺じゃん!」
……妻は手厳しい。


「そうは言ってもなぁ……だからって、“♪山菜採りに行ったぜ〜”とか “クワガタ捕まえた〜♪”なんて歌詞じゃロックにもポップにもならないじゃん。しょうがないよ」と私が擁護すると、


「ギャハハハ! たしかにクワガタのことなんか熱唱されたらお客のほうが困っちゃうわよねェ!」

……言った本人がたしなめるのもなんだけど…妻よ、それはウケ過ぎだ。
海ナシ県で育った皆さん、海ナシ県の青春に理解のない夫婦でスイマセン(笑)。




……まあ、山菜採りや昆虫採集はタチの悪い冗談にせよ、
海ナシ県や山間部で暮らす若者たちの“青春の舞台”がいったいどこにあるのか、私にはなかなか想像できないのも事実。横浜・神奈川で生まれ育った我々だけでなく、たぶん全国どこでも海アリ県で育った人々はおんなじだと思うんだけど、「若者ってのはなにかというとすぐに海に行くモンだ!」…と思う。仲間と遊ぶのも女のコと出かける場合も、特別なアイデアがないときはとりあえず山下公園や湘南の海岸に行くモンだったし、クルマの免許をとって最初に目指す目的地は、まず間違いなく海だ。海アリ県で育った少年少女なら全国的におんなじなんじゃないかな?…と私は推測するのだけれど。でも、そんなとき海ナシ県や山あいで育った少年少女は、いったいどこに行くんだろうか? 免許とったときや初デートで目指すのはどこ? 「○○平」みたいな標高が高くて眺めのよい場所? それとも湖や川岸なのかな? 或いは「○○スカイライン」や「○○峠」なんかのワインディングロードをひたすら攻め込んで求道者ノリでドラテクを磨くドライブ?? ……う〜ん、やっぱり想像しづらいなぁ私には。


ともかく、海アリ県の若者にとって「海」との結びつきは密接だ。
……というよりも、もしかしたら若者にとってなにかしら心的な象徴〜シンボリックなものがあるのかもしれない。「♪海は広いな 大きいな」ってくらいで、海は開放感タップリだけれど、それって若者が胸の奥に抱く、将来に対する不安感だとか、思うようにならない現状の閉塞感だとかを拭い去る機能を果たしているんじゃないかな。だから若者は海を目指すんじゃなかろうか?…と。湖や川には、残念ながらそうした開放感はないような気がする。じゃあやっぱし海ナシ県の若者も、やっぱり海を目指すのかな? それならFLYING KIDSが海の歌を歌っても、詐欺とは言えまい(笑)。


そういえば、以前に本の監修をお願いしたとある大学の先生に聴いた話では、某大手旅行会社には「内陸部の県の住民のほうが海外旅行によく行く」という顧客の統計データがあるんだそうだ。まあホントかどうか私が自分で調べたワケじゃないからなんとも言えないけれど、日常の閉塞感から脱出したいという気持ちがあるとすれば、若者が「海」を目指すキモチとおんなじかもな…とも思う。

またそういえば、よくよく思い出してみたら私自身が不安感や閉塞感から逃げるために海に行っていたっけ…そういえば。予備校時代からしょっちゅうサボって海に逃げていた。東京駅から横須賀線に乗って…品川駅の手前までは地下を走るんだよなぁ…眩しい日光が射すころちょうど車掌が車内の巡回を始めるんだ……で、横浜駅から先の、鎌倉までの乗車券を買ったモンだよなぁ……サボった罪悪感と海に向かう期待感がごちゃ混ぜになったあのキモチは、今でもはっきり思い出せる。大学時代だって、実際には大学なんかほとんど行かないで、わざわざ江ノ島の奥のふ頭まで行って、昼寝ばっかりしてたっけ……オレはきっと卒業もまともな就職も出来ないんだ…なんて暗いキモチを抱きながら。


そんなワケで、青春といえば海なんです…きっと。海には開放感があるから……それから開放的な気分になってる「異性」もたくさん集まってくるしね(笑)。