授業参観で嘆息

Tuduki2007-06-19

先週は息子たちの授業参観で小学校へ。


こないだの日曜日に「父親参観」が催された学校や幼稚園は多かったんじゃないかと思うが、息子たちの小学校は平日の午後イチ5時間目限定しかも学年によって別々の曜日に設定…と、全国的な世間の行事【父の日】シーズンにケンカを売るような、サラリーマンがいちばんカイシャを抜けづらい時間の設定っぷりにクラクラだ。たとえばせめて午前中に設定してくれれば、午前中だけ半休とって授業参観に行ける父親も(&もちろん働く母親も)増えて助かるってのに……そういう配慮をする感覚はまったくないらしい。


肝腎の授業内容も、どうにもこうにも。
1年生の次男の授業は「文をつくろう」というテーマだったのだけれど。困ったなぁ……担任の先生はどうやら「文(単文)」と「文章(=文を連ねて意味を持たせたもの)」の区別ができていないらしく、単文の問題しかやらせてないのに「次の文を〜」、「次の文章を〜」なんて具合に混在させて説明していた。

さらに、【あさがおが □□。】の空欄を埋める問題(模範解答例はもちろん「さく」)では、【あさがおが〜】の“が”の部分に×印をつけて勝手に“の”に直して、【あさがおの はな。】と書いてしまった児童がいたんだけれど、その子にその答えをわざわざ黒板に書かせて、「こういうのもよいですね」なんて言っていた。……たしかに独創的で楽しい答え方ではあるけれど、ホントにそれでいいんだな? じゃあテストのときに問題を勝手に書き換えた答案にも○をやるんだな!? そう詰問したいキモチで私はムカムカだ。別に、その子の間違いを厳しく正せ…とは言ってない。「そうね。それも文のひとつね。じゃあ今度は問題をなおさないで埋められる答えを考えてみようか!」と、その子に直接教えれば済むハナシではないか。なにゆえ他の児童にまで、その間違ったやり方を、それがまるで正しく優れた答えであるかのように披露しなくちゃならないんだ……!?

おまけに、黒板に書かせた他の子が、句点(。)をマスの右下に書いたことの訂正もしないし。句点(。)をマスの右上に記すのは、慣習やマナーみたいな曖昧なものじゃなく、表記上のルールじゃんか。……公立小学校の1年生なんだから、私だって別に高度な授業なんて求めちゃいない。基本の“キ”さえ教えてくれりゃ充分だと思っている。それで充分なのに……sigh.

経験未熟な若い先生ではない。たぶん私よりも年上の、オバサンの先生だ。……ということは、このヒトは20年以上も「文」と「文章」のことばの意味の区別ができないまま子どもたちに教えてきたんだろうか?


5年生の長男の参観も、なんともまあ。
来月に行く林間学校のあれこれについて、子どもたち自身に調べさせて発表させる…という内容。寸劇仕立てで注意事項を説明したりと、工夫がこらされて全体的には面白かったのだけれど。気になったのは、生徒の発表を指導する先生たちの基準とセンスだ。

たとえば、吸血ヒルに対処する方法についての説明で「ヒルに血を吸われたら払いのけずに塩をかけて退治しましょう。塩はフィルムケースに入れると便利です」と児童が発表していたのだが。……デジカメがここまで普及した御時世に、“フィルムケース”がフツーにある家庭ってどれだけあると思ってるんだろう? つうかそもそもイマドキの子って、フィルムケース自体もしかしたら知らないんじゃないのか? おそらく子ども達が資料にした本に“フィルムケースが便利”と書いてあったんだろう。昔はたしかにアウトドア関係の本では、調味料入れから採取物入れまでなにかにつけ“フィルムケースが便利”と書いてあったから……すぐ捨てないで小容器として利用しようというリサイクル精神の発揚面でもたしかに意味があった。でも、いま現在の生活にはちっともそぐわない。子ども達を指導するときに「フィルムケースって君たちは知ってるの?」「みんなはフィルムケースを用意できる?……もし用意できないならどんなものが代用できるか考えてみようよ」とするセンスはなかったのかねェ?…と私なら考えちゃうのだが。資料に疑問を持たずに丸写しするだけでは「学習」とはいえない…という当たり前の感覚がないのかねェ? …と。


理不尽な要求ばかりするバカ親たちの話題が新聞や雑誌やテレビを賑わせていて、実際ヤツらは呆れかえるほどのどうしようもないバカ親だと私も思うけれど、教師のほうも自分たちのスキルが「せめてこれくらいの授業はやってほしい…」と親たちが願う最低限のささやかな希望にすら達していないことが多いことを、自覚して真摯に反省するべきだ。

それから教師自身、正しい内容のよりよい授業が出来るように最善の努力を尽くすべきだ。“そのくらいやってるよ”と思う教師もいるだろうが、サラリーマンにしろ自営業者にしろ世間の社会人(つまり児童の親たち)のほとんどは、きっともっと努力している。そうした客観的な認識力が欠如しているモンだから、多くの保護者がイライラしてしまうのだ。


あやふやな知識、古い常識、うろ覚えの記憶を頼りにして毎年毎年おんなじ授業を繰り返すのはカンベンしてほしい。ノイズだらけの劣化コピーみたいな授業を受けなきゃならない子ども達の立場になってくれ…お願いだから。