さよなら氷川丸&マリンタワー (+デジャビュ)

Tuduki2006-12-21

今の子どもたちや若者たちにとってはランドマークタワーや観覧車なんだろうけれど、私の世代にとっての横浜のアイコンといえば、それはもう絶対的にマリンタワー氷川丸だった。その両者が、とうとう今週末のクリスマスをもって閉鎖されてしまう。


ウチの親父が出不精だったせいで(&当時はウチだけじゃなかろうが貧乏だったせいで)、日曜日ごとに「どっか連れてってよォ」と頼んでも、たまに連れてってくれるのは、近くに住む親戚の家に行く以外は、横浜港を臨む山下公園くらいのものだった。山下公園の芝生の上にビニールシートを広げて、氷川丸マリンタワーを眺めながらお袋のつくったオニギリを食べて帰るだけ……でも、それはそれで私の血肉をつくりあげた私にとって非常に“濃い”想い出だ。『三丁目の夕日』の東京タワーが昭和30年代の東京のアイコンならば、マリンタワー氷川丸は昭和40年代の横浜のアイコンなのだ。


氷川丸マリンタワーも営業は25日まで。お別れする最後のチャンスです。マリンタワーは毎日先着100名に、横浜育ちの子なら誰でも懐かしがる(?)マリンタワーのモノサシをプレゼント中! 〜そう、あのマリンタワーをかたどった、役立たずの虫メガネがついたプラスチックのアレですよ(笑)。

▲アレ(笑)

我が家は、氷川丸のほうは早々に11月に“お別れ”してきたのだけれど、マリンタワーはエレベーターが1時間待ちだったんで諦めました……息子たちを連れての“お別れ”はもう無理かな。でもまァ私のノスタルジーに息子たちを付き合わせることもないか(笑)。仕事の間隙を縫ってひとりで“お別れ”してこようかな…と。


ところで、
先日の地元紙・神奈川新聞には、閉鎖後の氷川丸の運営方法がまとまらず赤字がかさむだけで大変…という記事が載っていたのだけれど。さもありなん…と思いつつ、それを読んで思い出したのは、スカンジナビア号に関するニュースだった。

スカンジナビア号というのは西伊豆に係留されていた客船。氷川丸が展示施設になっているのに対して、スカンジナビア号はホテルとして利用されていた。子ども時代から氷川丸の船内客室を見ては「いっぺん実際の船に泊まってみたいなぁ…でも船旅は値段も高いしウチじゃ無理」と考えていた私が、スカンジナビア号の存在を知って、気分だけでも船旅を味わおう…とさっそく泊まりに行ったのは、まだ20代のころ。……なかなか面白かった。

そんなスカンジナビア号も、氷川丸同様に赤字がかさみいつのまにか閉鎖されていた。そのことを知ったのは、こんな新聞記事だった。

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スウェーデン企業に売却
伊豆箱根鉄道は」スウェーデンの不動産会社「ペトロファースト・エービー・ブローマ・スウェーデン社」に8月31日に元客船「スカンジナビア」を売却すると発表した。
スカンジナビアは中国・上海に運ばれ改修後ストックホルムに運ばれ、海上ホテル・レストランとして使用される予定。同船は、製造された母国スウェーデンで再びよみがえることとなった。
毎日新聞2006.08.25)

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そうか、スカンジナビア号西伊豆からいなくなっちゃうのか……でもよかったね。故郷スウェーデンに戻って、またホテルとして使われるんだ。スカンジナビア号の新しい人生が始まるんだな…さよなら、スカンジナビア号
……などと、感慨深げだった私。いつかスウェーデンに行くことがあったら訪ねてみるのもオツだね…なんて考えたりして。

ところが、
数日後に目にしたのは、こんな記事だったのだ……。

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2日午前2時ごろ、和歌山県串本町の潮岬沖約3キロ(水深約72メートル)をタグボート「第10英祥丸」(188トン)でえい航されていた元客船「スカンジナビア号」(5105トン)が沈没した。ス号は無人で、タグボートの乗員にけがはなかった。串本海上保安署などが原因を調べている。同署などによると、ス号は31日正午ごろ、静岡県・沼津港を出発。中国・上海へ向かう途中の1日深夜、浸水し始めた。英祥丸の乗員がス号の排水ポンプを動かすために近づいたが、浸水が激しく、沈没したという。ス号は1927年、スウェーデンで建造された客船で、全長約127メートル。 70年7月から05年3月末まで沼津市で、海上ホテル・レストランとして親しまれた。上海で改修後、スウェーデン海上レストランとして使われる予定だった。
毎日新聞2006.09.02)

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……スカンジナビア号、沈没(笑)。
唖然ボー然…ものすごいトホホ感。台本でもあるんじゃないかと思うほど、よくできたオチじゃないですか(笑)。スカンジナビア号はきっと西伊豆を離れたくなかったんだね…なんてメルヘンチックな気持ちにさせる寓話的な実話。


もしも氷川丸を横浜から引き離そうとしたら、きっとおんなじように沈んじゃうんじゃないかな…いや、万が一にも横浜を離れるくらいならいっそのこと沈んでくれ。そう願う昭和40年代の子どもは、私ひとりではないはずだ(笑)。