豪雨と落雷と…あれこれと

今朝未明の豪雨&落雷はものすごかった。


最近ちょっと体内時計が壊れ気味なせいで昨夜もなかなか寝つけず。2時までは覚えていて、そのあとようやく眠れたようなのだが……屋根を連打するドラムロールに目覚めさせられた。時計を見たらまだ3時20分、なんだよ眠りについたばかりじゃんかよ…と、布団の中で遠くの雷鳴をぼんやりしたアタマで聴いていた。……のだけれど、なんだか段々グングン雷鳴が近づいているような気がするぞ。とか思ったら、それまでの“ゴロゴロ”がいきなり“バキュグァッッ!”とものすごい音に代わって、窓ガラスがビリビリ震える……今度こそ慌てて飛び起きた。


まったく自然の力にはかなわない。かなわないから、自然にさからうなんて大それたことはやめて、午前半休した私である(笑)。……いやもうマジで、豪雨と雷鳴の大音響でとてもじゃないが眠れなかったのだ。そんな甘っちょろい考えはサラリーマンとして如何なものかとも思ったけれど、ひとりのサラリーマンである以前にひとりの人間でありたいと願う私だから、これでいいのだ(笑)。


ところで、ものごごろついたときからずっと鉄筋コンクリ製の集合住宅にしか住んでこなかった私には、じつをいうと雨の音さえももの珍しい…ということに最近ようやく気づいたところである(仮住まいしていたアパートで薄々気づいてはいたが)。なにしろ木造の新居に越してくるまで、屋根にふりかかる雨音なんか聞いたことがなかったのだから。『雨音はショパンのしらべ』なんて歌があったけれど、実際のところ今朝の雨なんて『雨音は和太鼓の乱れ打ち』という感じだった。雨音って、今まではオーケストラのチューニングの音出しだとか或いはシンセサイザーで奏でた和音みたいな、絵でいえば画面全体を薄く塗りつぶしたような、そんなイメージを持っていたけれど、意外に点描画っぽいんだな…と最近ようやくわかってきた。でもって結構“塗りムラ”があるモンなんだな…と。

そんな雨、最近はなんだかキライじゃない。雨音も初めての体験だし、雨上がりの土と草の蒸れたニオイが住処のすぐそばで感じられるのも、私にはとてももの珍しい。なるほど、こういう肌感覚の体験を有するのとないのとではメンタリティも違ってくるよな…なんて考えたりする。


そんなこんなで、こんなトシになってからいろいろと新鮮な感覚を味わって楽しんでいる最近の私なのであった……まあ1億も払ったんだし(←大袈裟どころかウソです:笑)、このくらいいろいろと楽しませてもらわないとな…とも思う。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
今日はN.Y.のテロが起きてから丸5年。あの衝撃から、もう5年も経ってしまったのか…とも、まだ5年しか経ってないのか…とも思う。犠牲者の方には心よりの御冥福をお祈り申し上げたい。

あの大事件のあと、世界がこんなふうに危険な気分に満たされるだろうな…ということは、なんとなく予想がついていた。そんな予感に暗鬱な気持ちを抱いたものだ。
そんな私自身にとってまったくの予想外だったのは、あの事件の被害国であるはずのアメリカ合衆国を、その5年後に、こんなにも大嫌いになっている、いまの自分の気持ちだ。アメリカ合衆国は、あのWTCテロの犠牲者の何十倍もの数の、罪もない事件とは無関係な一般人を、自分たちの被害者意識を払拭するためだけに殺したのだ……そして今もなお殺し続けているのだ。


冥福を祈るべき魂はN.Y.にだけあるわけじゃない。瓦礫の下に埋もれた死骸はN.Y.にだけあるわけじゃない。