映画公開が楽しみな『ダ・ヴィンチ・コード』

Tuduki2006-05-15

ダ・ヴィンチ・コード』を読了。面白かった。1日1冊ペースであっという間に読み終えたのは、次が気になる展開そして往復2時間超の通勤時間のタマモノだ……コンチクショーめ!(笑) 今週末いよいよ公開の映画を観るのがものすごく楽しみになってきたよ私は。


……というのも、この小説のつくりがものすごく映画っぽいからだ。決して“映画的”なのではなく“映画っぽい”感じ。良くも悪くも“映画っぽい”胡散臭さがプンプン漂っていて…それが読み手を惹きつけて離さない。

各章ごとの文章量が極端に少なく、あっちの場面こっちの場面と次々に何度も何度も行ったり来たりする手法は、グリフィスが生んだとされる映画編集の手法「カットバック」そのものだ。同時進行の緊迫感を生み出す効果…のみならず、目先がどんどん変わるから飽きない。

それから「なんと、そうだったのかぁッ!」と驚かすために仕掛けるミスディレクションの中身も、とっても“映画っぽい”。さらにその「なんと、そうだったのかぁッ!」と驚く場面の描き方も、コケオドシ感もりもりな演出で、ものすごく“映画っぽい”のだ。さらに言えばクライマックスのドンデン返しも、いかにも“映画っぽい”ので映画ファンからは「ははぁん…」という声が漏れることだろう。


そんな“映画っぽい”原作だけれど、その手法が小説としてどうなのよ…ということになると、私には少々「???」だった。全世界であれだけ売れた小説だし、私自身どんどん夢中で読んだくせにケチつけるなんて、我ながらナンダカナァ〜…だけれど。
ミスディレクションの内容やコケオドシ的な演出。きっと映画だったら、ビジュアル要素の強さや展開のイキオイで、ノリよくどんどん進んでいけるんじゃないか…と思う。だけど小説の場合は、「あれ?」と思った読者はすぐにページを戻って振り返って確認するから、ノリが生まれにくい。また振り返ったことで仕掛けに気づいてしまうかもしれない。
コケオドシ的な盛り上げ方にはまりきれないと、「おいおい…さっきの場面であんなにスゴイことをひらめいた御方が、こんな簡単なことに気がつかないなんて……んなアホな!」とついつい失笑してしまう。「それを見落とすなんてあり得ないだろが!(苦笑)」…と。
ああ、たくさんの具体的な例を挙げて説明したいよなぁ……もちろんマナー違反だからそんなことはしないけれど。でも原作を読まれた方なら、「そうそう、そうなんだよね」と共感していただけるハズ。それから映画鑑賞されたあとならば「ああきっとこのことを言ってたんだな」と納得していただけることだろう。……でも、それでもオモシロイんだよね。真っ当な小説というよりも、娯楽読み物として、とてもオモシロイ。


というワケで、映画ファンの諸兄に忠言します。
映画『ダ・ヴィンチ・コード』は、原作を読まずに観るべきだ。



映画『ダ・ヴィンチ・コード』は「小説の映画化」ではなく、「架空の映画を小説にしたものを映画化」する行為である。ものすごく“エンタテイメントな映画”っぽい原作なので、ものすごく映画鑑賞するのを楽しみにしている私なのだ。