見逃すべからざる映画〜『ミュンヘン』と『ホテル・ルワンダ』

Tuduki2006-02-02

今年もオスカーノミニーが発表された。

主要部門で『キング・コング』がことごとく無視されたのは、意外なような順当なような……。『ロード・オブ・ザ・リング』でオスカーを受賞してからの一発目だし、連続受賞はないにしても作品賞or監督賞候補の末席には名を連ねると思っていたのだが。以前に感想を書いた<http://d.hatena.ne.jp/Tuduki/20051219>ように、私には完成度に難ありと思えたものの、まるで満漢全席のような豪華さ&満腹感は、それはそれで意義があるとも思ってたのだけれどなぁ……。



さて、今週末からはいよいよスピルバーグの『ミュンヘン』が公開される。今年のアカデミー賞には主要部門の作品賞&監督賞、それから脚色・編集・作曲賞にノミネートされている。
私はひとあし先に完成披露試写で鑑賞したのだけれど……正直、気持ちが混乱してしばらく凹みました。鑑賞直後にmixi日記に簡単なインプレッションを書いて、こっちの【ひなたで飲酒】のほうで腰を据えた感想&私なりの解釈を記そうと企んでいたのだけれど……ダメだ無理です。書きたいこと言いたいことはいっぱいあるのに収拾がつきません。
しかも、このことを考えるたびに、とことん気持ちが重くなる……なにしろ私は打たれ弱いのだ。この映画は、’72年のミュンヘン五輪の最中に実際に起きたテロ事件〜パレスチナ・ゲリラによるイスラエル選手11人惨殺を発端に、その報復テロに走るモサドの実行犯を主人公に描いているのだけれど……物語が映画の中だけで終わらないことを思い知らされる、苦い苦い映画なのだ。

テーマも脚本も演出もいろいろ揉めそうな問題作だけど、私には大傑作。スピルバーグのシリアス系作品では、シンドラーやライアンを超えてこれがイチバン好きかも。………ということはこの時期にして既に、今年のMyベスト映画はこれに決まりかも?
イスラエル問題の基礎知識がないと判らない内容なので、「まっとうな学校教育を受けさせてもらえていないほとんどのアメリカ人には理解できないんじゃないのか? この内容を、いつものハリウッド映画みたいにいいモンvs.悪モンの二元論で見たら大問題じゃんかよ」と心配にもなっていたのだけれど、なるほど、ああいうベタなセリフと映像で〆めるとは……! 直感的な深層心理への嫌悪感に訴えるとは、さすがスピだと私には思えました。(でも、アメリカの観客や映画評を見ると、やっぱり二元論や米国的正義観にとらわれているのもあってガッカリ)



私の場合、『ミュンヘン』を観た翌日に『ホテル・ルワンダ』を続けざまに観てしまったのも、気持ちが落ち込みきってしまう原因だったといえる。両作品のあいだに『THE 有頂天ホテル』でもはさんどくべきだったヨ……。

ホテル・ルワンダ』も実際の事件を描いた映画。ルワンダ共和国で’94年に起こったツチ族フツ族の部族紛争…というよりも、フツ族が一方的にツチ族を全滅=“浄化”しようとした大虐殺事件のなかでの、ひとりの男(実在のホテルマン)の物語。’72年のミュンヘン・テロだってそれほど昔のことじゃないのに、こちらはわずか10年前に起きた、“現代”の出来事なのだ。こちらの感想も、今の私にはとても手に負えない。手に負えないから手を出さない…今は。
この大虐殺事件〜コンゴ紛争で殺されたのは、50万人とも80万人とも言われている。あまりに大きすぎる数は具体的なイメージがどんどん希薄になってしまい、単なる目盛りになってしまうものだ。たとえば「ウルトラマンは10キロ先の針が落ちる音まで聞こえる」みたいな。なんだかスゴイ感じがするけれど、どうスゴイのかさっぱり実感できない感じ。なので、50万人という数字を身近にしてみると……
●超満員の阪神×巨人戦の観客が、10試合分まるまる死にます。
●各学年4クラス40人学級の小学校の、520校分の生徒がまるまる死にます。
●今年から運行開始となる550人乗りの超大型旅客機エアバスA-380の、910機分の乗客がまるまる死にます。
鳥取県の県民が、だいたい全員まるまる死にます。
阪神大震災の犠牲者が、77回分くらい必要です。


……書きながら私本人の胃がむかむかしてきた。でもこれで、ケタが大きすぎて実感の湧かなかった数字の意味が、少しは具体的にイメージしてもらえたのではないかと思う。そして、きわめつけはこれだ。

●東京駅を起点にして、新幹線の線路上に殺されたツチ族の亡骸を並べていくと、新倉敷駅(岡山のひとつ先)近くまで届く。


男だけでなく女も子どもも(赤ん坊どころか胎児さえも腹から引きずり出して)殺されたということなので、犠牲者の平均身長を150cmと仮定して計算した結果だ。電卓の数字を見て目をうたぐったよ私も。もし犠牲者が80万人だったならば、東京〜博多間を楽勝でコンプリートできる。新幹線の線路にそって、はるかかなたまで累々と連なる死骸のイメージ……。災害なんかじゃない。人間が人間の手によって、これだけの人間の命を奪ったのだ。


‘72年当時の私は小学一年生。ミュンヘン五輪の記憶もある。けれどテロ事件のことは、映画化の記事を読むまでまったく知らなかった。また’94年のコンゴ内戦のときはさすがに記事やニュースを見ていたけれど、その2年後にケニアを訪れるときも「アフリカって民族部族間の対立で情勢が不安定なんだよね…」なんて知ったふうなクチをききながら、それが具体的にどういうことなのかまったくイメージ出来ていなかった。私はそんな自分が情けなく恥ずかしい。


ミュンヘン』と『ホテル・ルワンダ』。実際の事件を元にした映画ということ以外にもうひとつ、両作品には共通点がある。それは、主人公の描写〜個人の視線に徹していることだ。ひとりの人間として主人公が考えること行動することに思いきり寄っている。だから観客は主人公に共感して…だからこそ戸惑ってしまう。
“国家”とか“部族”とかいった「社会」というものは、大きすぎる数字みたいに、個人が理解できる範疇を超えたスケールなのだきっと。デカすぎてイメージできなくて把握しきれないから、一個人の立場ならば“それは間違っているだろ”と思えることですら、「社会」のヤツに“それが正義なのだ”と言われればそれが正しいと思ってしまうのだおそらく。(後日注:共通点がもうひとつありました。それは、どちらの事件も報復の連鎖が現在いまこの瞬間までも続いているという現実です)


……映画の感想も書いてないのに、つい長々と駄文を連ねてしまいました。
気持ちの収拾がつかなくなるこれら映画2本、『ホテル・ルワンダ』と『ミュンヘン』、本当に多くの人たちに観てほしいです。
ミュンヘン』公式サイト<http://www.munich.jp/
ホテル・ルワンダ』日本公開を応援する会<http://rwanda.hp.infoseek.co.jp/
          <http://app.blog.livedoor.jp/hotel_rwanda/tb.cgi/50281419