地獄絵図

一昨日15日(日)に、有明で撮影した雲の写真。

石を投げこんだ水面にあらわれる波紋のような雲が空一面に広がって、やたら気味が悪かった。まさか地震雲?…じゃないよね。


地震雲なんてオカルト科学に決まってるぜ…と考えている私だが、信じなくて無視したせいで震災被害者になるのは心底イヤなので、ついつい空を見上げてしまう。そのくらい地震が怖くて怖くてたまらない。幼いころには地震で自分が死んでしまう夢に何度もうなされたものだ。もちろんそれが予知夢だったことはない。私はこうして大地震に襲われた経験のないまま生きているし、そもそも夢の中の私の死因は、家屋倒壊の下敷きでも二次災害の火事でもなく、地割れした地面のすき間に落ちてパクっと地面に食べられちゃう…という漫画チックなものだったのだから。
まあ逆にいえば、そんな漫画チックな悪夢に何度もうなされるくらい地震が怖ろしかったワケで。私が小学生のころは「60年周期で起こる関東大震災がまた明日来るかも知れないんですよ! そんなたらたらと避難してどうするんですか! そんなことでは明日死んでしまいますよ!」と避難訓練のたびに校長先生に叱られたものだから……トラウマになったのは私だけではあるまい。


11年前の今日1月17日のことは、よく覚えている。たしかあの年も今日と同じ火曜日だったはずだ。1/15の「成人の日」(当時)が日曜日だったため翌16日が振替休日で三連休になっていたので、年突然の思いつきでサイパンに遊びに行って16日の深夜に帰宅したばかりだった。乾期のハズのサイパンはなぜか一日中しとしと梅雨のような雨降り、しかも向こうでインフルエンザを発症してしまい最低最悪の旅行だったのだが…17日の朝、ボーッとした頭でテレビをつけてその映像を見て…眠気も病気も吹っ飛んだ。……そして新たな悪寒に襲われゾゾゾゾと全身に鳥肌が立った。
あのときの地獄絵図はすべての人の心に重く深く灼きついたものだから、ここで改めて詳細に記したりはしない。亡くなられた方々の御冥福を祈り、大切な人を失われた(特に未来があったはずのお子さんを亡くされた)方々の悲しみを想い胸を痛めるばかりだ。


それなのになぁ……
私はあの地獄絵図が“すべての人の心に重く深く灼きついた”ものだとばかり思いこんでいたのだけれど、屁とも思ってなかった人々が大勢いたのだね。倒壊した家やビルの下敷きになって大勢の命が奪われたのを見ても、なんとも思わなかった連中が。あのとき、いとも簡単にビルや家が倒れる理由を「関西では大きな地震がしばらく起きていなかったので、規定以下の手抜き建築をするのが常態化していた」なんて、いかにも関西特有の事情と油断であるかのように語られていたけれど……なんのことはない、日本中すべておんなじように手抜きが常態化してただけじゃないか。
いずれ首都圏に大地震がやってきて、バラバラバラっとなんやかや全部壊れて大勢死んでしまえば、その大惨事のどさくさで誤魔化せる…ってことまで計算のうちなんだもんな。まったくすごいね。

今日のヒューザー小嶋の証人喚問は、核心にふれる部分はほぼすべて証言拒否。……ってことは要するにやっぱり、名前が挙がっている自民党のあの人やあの人などなど、政治絡みの事件ってことを示してくれたわけだ。
まあ、この国そのものが、ぺらっぺらの安普請なワケだから。で、雰囲気ばっかり先行の“改革”なんてのに目くらましされてる間に、いずれまもなく瓦解した国家の下敷きになってみんな死ぬってことだ……。

私の悪夢はまだまだ終わらない。