以て他山の石とせよ

Tuduki2006-01-16

膨大なローンをかかえて建築中の家が、ちょっと立体的になってきた(勿論膨大なローンというのは私の感覚であって、別に豪邸が建つわけではない)。


このところ帰宅後は毎晩、妻と顔を突き合わせて、設計図面をにらみながら「実際に住むとどうなる?」とシミュレーションする“検討会議”が続いている。……新居完成を前に夢の広がる計画かって? トンデモナイ! 住んでから「こんなハズじゃなかったのに!」という予想外の問題点が生じないように、住んだら困る箇所探しに明け暮れているのだ。たとえばコンセントの位置なんかの確認。TVなどの設置のためには端のほうの目立たない箇所にコンセントをつけたほうがいいけれど、それだと掃除機を使うときにとなりの部屋まではコードの長さが足りないので、何度もつけたり外したりしなくちゃならなくて面倒だぞ…なんてことに気づくためのシミュレーションだ(この問題は、フロアの中心点に掃除機のためのコンセントをひとつ設ければ、いきなり楽チンになることが判った)。そうやって不便探しを熱心にしているのは、実際に設計面でしくじった家族の実例を、妻があれこれ仕入れてくるから…というのが大きい。


たとえば、妻の学生時代の友人が建てたとある家。お客さんを招いてもてなすのが大好きなその友人、「それでは1階は広々とLDKだけにしましょう」という設計士のプランに大感激して建てたそうなのだが……
なるほどその家は、1階をパブリックなスペースと位置づけ、寝室や子供部屋はもちろん風呂場や洗面所など生活感のあるものはすべて2階に設けたプランだったそうだ。そうすればお風呂から出てポカポカのまま寝室に行けるし、 日当たりのよい2階のベランダに洗濯物を干すのにも動線が短くてとにかくいいことずくめですよ!…というハナシだったそうで、それは我が家のライフスタイルにぴったりだと設計図面上では大満足だったらしい。ところが、いざ出来上がったら、たしかに計画どおりの快適&便利さは手に入れたのだが、予想外の問題が生じた。
……お友だちが遊びに来てお茶や料理をふるまうときに、当然お客さんも手などを洗ったり化粧を直したいところだけれど、そういう場所がどこにもなかったことに、家が完成してから気がついたのだ。
わざわざいちいち2階の洗面所まで上ってもらうのは変だし、そもそも2階は寝起きしたり洗濯したりと生活感バリバリあふれるプライバシーなスペースだったハズ。だから2階の洗面所へと案内するワケにも行かず、かといって料理などを準備している真っ最中の台所で手を洗わせるワケにも行かず、結局お客さんみんな、1階のトイレで手を洗う羽目になっているのだとか。なんだかミジメな気分になったよ…と妻。素敵なおもてなしができる家のはずだったのに、小さな手洗い場をひとつ設け忘れただけで台無しだ。


またたとえば別の知人の新居。海外生活の経験も豊富なその方の家は、北欧のサイズと住宅性能を備えていることを宣伝文句にしている有名な輸入住宅メーカーの作。中身は昔とおんなじなのに外見ばかりを○○風に似せた最近ありがちな家とは違う本物らしさが、海外暮らしの長かった自分たちにはピッタリ…と考えたそうなのだが。
……本物らしさにこだわるあまり、布団を干すスペースをつくり忘れたそうだ。歴史あるヨーロッパの街並みにあるような、堅牢なつくりを感じさせるデザインの美しい家なのだが、本物らしさを追究しすぎたせいで、日本の住宅よりずっと小さい窓の、その外にあるのは花を飾る台のみで、洗濯物や布団が干せるようなバルコニーはなし。日本人ならベッド愛用者でも掛け布団や毛布は干したいと思うものだが、北欧にはそういう習慣はないのだろうかなぁ……?
結局その家では、洗濯物や布団は庭に設けた物干し台に干している……思いっきり伝統的な和風スタイルだ。まあ解決策があったのだから、客がトイレで手を洗う家よりはマシだろうけれど、庭へ出られる部屋は、その家で一番眺めがよくて応接間を兼ねたリビングだったものだから、洗濯物で景観が遮られてしまったことをダンナさんは哀しみ、海外各地で買い求めた高価な壺やら皿やら彫刻やらが飾られる部屋のソファの間を、洗濯物や布団を抱えながらおっかなびっくりすり抜けるのは、奥さんにとっては毎日の多大なストレスになっているのだとか。


他人にとっては笑い事だが、当事者にとっては深刻な事態である。一生払い続けるローンをかかえてこんな思いをするなんてあんまりだ……我が身の丈にあわぬ買い物を前にして、嬉しい気持ちよりも“ネガティブな気持ちスパイラル地獄”に陥りつつある小心者の私なのであった。