『コープス・ブライド』には不満足

Tuduki2005-09-30

ティム・バートンのコープス・ブライド』を観た。ワーナー試写室にて。

カネ&名誉に欲まみれの両親同士が決めた結婚を明日に控えたふたりが、結婚式前日に初対面したわりには意外に意気投合したんだけど、とんだハプニングで男のほうが亡霊と結婚の誓いを交わしてしまったからサァ大変!……という物語。あの『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』(←こっちは原案と製作だけだけど)を彷彿させるストップモーションアニメだけに、期待に胸を高鳴らせるファンも多いことだろう。


う〜〜〜〜む、び…微妙〜〜ぅ……
物語の骨子は要するに、(ひとりの男)×(生きた花嫁vs.死んだ花嫁)という図式の三角関係なのだけれど……なんだかものすごく感情移入しづらいのだ、誰に対しても。

そもそも三角関係モノの場合って、よほどの変化球(たとえばライバル同士が親友になったり恋人!になっちゃうパターン、あるいは3人まとめて家族的関係を構築しちゃうパターンetc.)でもないかぎり、当然そこには「選ばれし者」と「選ばれざる者」が発生しちゃうワケで。だから観客が納得できるだけの「選ばれたor選ばれなかった」理由が必要になるワケだが……この映画の主人公たちの三角関係には、そうした納得できる理由が存在しないのだ。


◆◆注意! 以下はネタばれはしてませんが、先入観を与える恐れあり。ところで私の場合は、まったく別の間違った先入観を抱いて鑑賞していたので、じつはとても驚きました◆◆


生きた花嫁(声はエミリー・ワトソン)も亡霊の花嫁(声はヘレナ・ボナム・カーター)も、どっちもすごく善人に描かれているので、最後にはどちらかが悲しむことになるんだな…と考えながら観ると、とても居心地が悪い。まあ、そんな気持ちのハラハラぶりを楽しむような映画や小説だってもちろん世間にはたくさんあるけれど、そういうのを楽しむには、どっちの花嫁も「甲乙つけがたい」というよりは「決め手に欠ける」という感じで…早い話が、「別にどっちを選んでもいいや」と興味をそがれてしまうのだ。これはちょっと問題ありありだと思う。


一般人の常識で考えれば、選ぶべきは「生きた花嫁」のほうなんだろうけれど、このコにしたって親が決めた花嫁でしかも数時間前に初めて会ったばっかりだし、このコにこだわらなきゃならない理由が存在しない。おまけに、いかにもティム・バートン映画の世界観らしく、生者の世界よりも死者の世界のほうがずっと魅力的にヒューマンに描かれているせいで、「そもそもこの世に執着する理由なんかないじゃん。さっさとあの世に行って楽しくやるほうが、まだマシな“人生”じゃん」と思えてしまい、ますます「生きた花嫁」を選ぶ根拠が薄れてきてしまう。
しかも、だからといって、今すぐにでも死者の世界に行って生き生きと暮らしたいぜ!…と思えるほどの魅力には溢れていない……映画『コープス・ブライド』には、そういう気持ちのイキオイが著しく乏しいのだ。


さて、主人公ビクター(声はジョニー・デップ)はどちらを選んだのでしょう? ……それは劇場でのお楽しみ。



なんだか、ティム・バートンが家庭を築いてしまったことの弊害が出てしまったような気がした。ティム・バートンには、筋金いりのオタク&ゴスらしく「主観」を貫いてほしかったなァ私としては。ファンはその、一般常識とは異なった独自の「主観」を観たがっているのだから。子どもが産まれて「父親」という役割が生じたことで、客観的また俯瞰的に状況を把握する力がついたのかもしれない。そういうのって「人間として成長した」って言うのかもしれないけれど、ティム・バートンにそういうのを求めるヒトは、この世には存在しないと思います!


貶しはしたけれどDVDは絶対に買うことでしょう。物語の構造のマイナス分を余裕で挽回する映像だったから。むしろストーリーなんか一切追わずに映像のみに耽溺できるのが今から楽しみだ。