横浜と本牧と…みなとみらいと港北NTと

Tuduki2005-09-06

つい昨日のことのような気がするのに、考えてみたらもう20年くらいも前の、私が若者だったころの話。

高校の同級生連中のバンドが、関内にある[セブンス・アベニュー]というライブハウスで演奏したのだが。そのときの対バンが、オレら若者から見たらものすごいオジサン連中が集まったバンドに見えたのだが、特にボーカルのオジサンが、異様に雰囲気のありすぎる独特の風貌で、どこから見てもタダモンじゃないぞこのヒト…というニオイをプンプンさせていた。……ちょっと怖かった。その後しばらくして、その同級生バンドが本牧にある貸スタジオで練習するというんで遊びに行ったのだけれど。そしたらそこに例の“独特の雰囲気がありすぎるオジサン”がでんと座っていて、外に漏れてくる音を、ふぅん…という顔をして聴いていた。……やっぱり怖かった。

彼がCHIBOさんという、横浜ロック界の超有名人であることを知ったのは、その後まもなくのことだった。横浜のロックシーンや本牧に親しい方なら「ははぁん」と思ったであろうが、そのスタジオは[Boogie Studio]だ。


20年ぶりにそんなことを思い出したきっかけは、クレイジーケンバンドの新譜『Soul Punch』についていたDVD映像そして日本文芸社発行のムック【荷風!】第5号の横浜特集のせいだ。

DVD映像で横山剣さんが語る本牧の昔話は、私のその頃の記憶のまんまの「本牧」だったもので、とても懐かしかった……と同時に気がついた。よくよく考えると、私にはその先の〜つまり現在にいたる本牧の記憶がほとんどないのだ。行ってない…行ってないなぁ本牧方面。特にこの6〜7年はまったく行ってないんじゃないか? 突堤の先のシンボル・タワーに行くようなときにも、通過すらしてないぞきっと。

まあ本牧に限らず…野毛にせよ大岡川沿いや中村川沿いのあちらこちらにせよ、地元民でもないヨソ者でしかも子育て中の家族にとっては、わざわざ目指して行く理由があんまりないからなぁ……。私の息子たちにとっては、明るく健全な〈みなとみらい地区〉が「横浜」の主たるイメージ像になってゆくんだろうなおそらく。「港には仕事があるから…」なんて当時の日活映画みたいなノリで、宮城の山奥から横浜に出てきた自分たちの祖父(=私のオヤジ)の気分なんて、想像も理解もできないんじゃないだろうか?


日本文芸社発行のムック【荷風!】第5号が横浜特集をやっている。美空ひばりゴールデンカップスの話、本牧とブルースの話、外国人居留地の話、キリンビールの話、風俗街の話etc.…カッコよくて怖かった「横浜」の話題が盛り沢山だ。横浜を愛する諸兄ならば保存版になるような読み応え充分の記事がいっぱいだ。
じっくり読みながら、「こういう横浜が好きだから、横浜から離れられないなオレ…と思って暮らしてきたのに、結局こういう横浜にはもう何年も全然さっぱり行ってないじゃんオレ」と、なんだかツマラナイ思い。私の暮らす港北ニュータウンは、「横浜市」ではあるけれど、「横濱」でも「ヨコハマ」でもなければ「YOKOHAMA」でもない……。もちろん港北ニュータウンには好きだから住んでいるワケだし、ここから離れるつもりもないけれど…せっかく不良オトナとして遊べるこの年齢になったいま、健全な港北ニュータウンやみなとみらいだけで過ごしながら齢を重ねるのは、なんだかとても損しているような心持ちになるのである。


そんなわけで、私にとっての「ヨコハマ」そして「本牧」は、記憶のずっと奥のほうにしまいこまれ、ウィスキーや泡盛の古酒のように、より一層熟成されてゆくのだ、不良の街としてオトナの街として。

付記:
私が“異様に雰囲気のありすぎる独特の風貌”とひと目でビビった本牧ロック界の重鎮CHIBO氏のその風貌は、くだんのDVD映像にもBoogie Studioの外観とともに一瞬映っているが、ザ・ゴールデン・カップスドキュメンタリー映画ワンモアタイム』(DVD好評発売中)ならば、よりはっきり拝むことができます……私がけっして臆病者なんかではないことが御納得いただけるハズだ。