縄文顔vs弥生顔バトン(嘘)

Tuduki2005-08-09


国立科学博物館の特別展「縄文vs弥生」を見に行った。

どんな具合に“vs”しているかはPRサイトをご覧あれ。<http://event.yomiuri.co.jp/2005/jomon_vs_yayoi/
大きな写真が“縄文人”、小さな写真が“弥生人”なのだが……どちらがカワイイかということになれば、わざわざ対決するまでもなかろう。なにも“弥生人”役のコがブスだとは思わないけれど……なんだか邪悪な霊に取り憑かれたような目をしている。ちょっと怖い。生意気な下級生を体育館の裏に呼び出しそうだな。…もっとも“縄文人”のほうも、無邪気に後輩イジメする部活の先輩っぽい雰囲気ありありだけど。
なお展示物の説明には、縄文人のコは「小さいが目鼻立ちのはっきりした顔」、弥生ギャルは「切れ長の目をもつ面長の顔」と書かれていました……説明文からして縄文びいきに思えるが、気のせいか?


私が小中高で習っていたころの四半世紀前の教科書では、「原始的な縄文文化と進んだ弥生文化」というある種の二元論的な決めつけで、両文化の説明がなされていた。たとえば「縄文時代の食糧は、魚貝や木の実などの採集という不確実なものに頼るしかなく飢えて貧しかったが、弥生文化でコメづくりが行われ、安定した食糧供給が可能になった」とか「縄文土器は厚手で重たいが、低温で焼かれているので割れやすい。しかし弥生土器は薄手で軽く、進んだ技術で高温で焼かれているので割れにくい」みたいな内容だった。そういう内容を暗記して定期試験や入試に挑んだ我々の世代だが、現在では、縄文人が意外に豊かな食生活を送っていたことも判ったし、縄文土器の技術が原始的ということはなく、むしろ縄文土器のデザインは世界規模で見ても非常に芸術性の高いものだということになっている……要するに我々の世代は間違った内容を勉強してきたワケだ。


縄文人が長い年月を経て次第に弥生文化に変わっていったのではなく、大陸なのか半島なのか、ともかくあっちのほうから、コメとか道具とか新しい文化文明を携えて海を渡ってきた人々がもともと日本にいた縄文人に影響を与えて、弥生文化となった。その流れは明らかなのだが、もともといた縄文人のほうがずっと数が多いはずなのに、なぜ新たな文化文明に代替わりしてしまったのか……その部分はいまでも謎で、数多くの説があり議論されている。
「渡来人のほうが身体が大きく、道具も武器になり、闘ったら強かった」とか「稲作ほかの魅力的な技術を示して縄文人をうまいこと配下に引き込んだ」みたいな、信憑性ありそうだけどよくよく考えるといろいろ疑問が出そうな説もあれば、「渡来人が腹の中に運んできた寄生虫に、免疫のない縄文人がやられてバタバタ倒れた」なんて『宇宙戦争』ぽい説もあるし、「我々が想像していたよりもずっと多くの人々が渡来してきたんじゃないか」なんて、シンプルだけど壮大すぎるんじゃないかそりゃ…という説もあったりして、あれこれツッコミいれながら調べると、思いのほか楽しめる……大人の「夏休みの自由研究」にオススメだ。
今回の企画展では「採集生活(縄文人)よりも、農耕生活(渡来人)のほうが、人口上昇率が高い」という説を唱えていた。わずか数百年で人口比率が劇的に逆転するんだそうだ……なるほど! これは非常に面白かった。



ところで、あなたの顔は縄文系それとも弥生系?
1.顔の形は……  四角/長細い丸
2.まゆの間(眉間)は……  もりあがっている/平べったい
3.鼻の高さは……  高い/低い
4.まゆ毛やまつ毛は……  濃い/薄い
5.目の大きさは……  大きい/小さい
6.まぶたは……  ふたえ/ひとえ
7.耳たぶは……  大きい/小さい
8.歯の大きさは……  小さい/大きい
9.唇は……  大きく、厚い/小さく、薄い

……左の要素が多いと縄文系の顔、右の要素が多いと弥生系の顔なんだそうです。
私の場合は、「インディアンの役で映画に出ませんか」と街頭スカウトされるような親父の息子なもんだから…やっぱり縄文系の顔だ。両親とも東北の山間部出身だから、朝廷から「蝦夷(えみし)」と呼ばれて坂上田村麻呂に成敗された“蛮族”の末裔だろうなおそらく。