『HINOKIO』を観る

Tuduki2005-07-29

せわしなくバタバタしているうちに終わった今週のウィーク・デー。
書きたいネタの素材はあるのに、それを膨らませたり発酵させたりする時間もなければ、もちろん書きあげる時間もない。気ぜわしい分だけ仕事の中身が充実していれば、フラストレーションもたまらないんだろうけれど、時間が奪われるだけで充実している気も全然しない。……まあいいか、夏休み前のサラリーマンの仕事なんてこんなもんか。


HINOKIO』を観た。
昨夏に「こんな映画がつくられてるよ」と聞いたときから楽しみにしていた作品……であったのに、結局観られたのは首都圏ではほぼ最終日の本日だとは。面白そうな感動させてくれそうな予告編だったのに、あいにく成績は惨々だったようで……公開初日後の週明けに、この映画の制作に関係している女のコとたまたまメシ喰ったのだが、公開早々なのに「不入りで胃が痛い…」と嘆いていた。その言葉を裏づけるように、どんどん規模縮小されていく様子を見て心配していたのだが……

う〜ん、なんでこうなっちゃうのかなぁ…というMOTTAINAI(←世界に広がる日本語)気持ちでいっぱいになりました。
着想もいいしテーマもいいし、VFXはよくできてるし、ロボットのキモカワイイ造型もイイ感じだし、(中村雅俊は驚くほど下手だったけど)主役の子ども達の存在感は上手下手を超えたチャームがあったし……良いところを箇条書きすれば、たくさん見つかるのだが。…のだがしかし。
どこのナニが具体的にどうマズイのかは、いろんなBBSやblogで散々書かれているようなので、この時期にいまさら私までがわざわざ繰り返して書くまでもないだろう。未見だけどネタばれが気にならないという方は、そちらを探してお読みください。だいたいその意見どおりだと、私も思う。


ウソ(=物語)を完成させるには、「大きなウソをひとつだけつくために、リアルを積み重ねる」か或いは、「大きなリアルをひとつ用意して、ウソで塗り固める」か、その2種類しかないのだ……

マンガや小説の編集現場では、表現の多少の差異こそあれ概ねそういった内容の“指導”を、酔っぱらった先輩の説教のひとつとして、新入社員時代から耳タコ状態で脳みその芯まで染みるように刷り込まれるものだけれど……少なくともこの映画の現場にいた人々は、そうしたウソのつきかたを刷り込まれてこなかったんだな、残念なことにおそらく。
せめて、ファンタジー(大きなウソ)にファンタジー(大きなウソ)を整合性ないままにかけ合わせたりしなければ……さもなければ、そうしたウソをすべて飲み込めるほどの大きなリアル〜たとえば万人が共感できる心情など、を提示できてさえいれば、客のほうがこんなにむず痒くなるような事態に陥らずにすんだろうに……本当にMOTTAINAI


※写真は映画ではなく、ノベライズ<http://7andy.yahoo.co.jp/books/detail?accd=31553326>の表紙。こちらも偶然オトモダチ関係。週末に読んで率直な意見を返すつもり……とくに当人から頼まれてもいないクセに。