魚に食べられたい

Tuduki2005-06-20

実家に“帰省”した。

といっても同じ横浜市内だしクルマなら30分弱で着くのだが、上の子ふたりを連れて電車を乗り継いで“帰省”してみた。新横浜駅売店で、横浜みやげのシューマイと餃子を帰省の手土産としてシャレで購入……おお、なんだか本格的な帰省っぽいぞ。

親父と昼間っから酒飲んでとろとろしていた夕方、「酔い覚ましの散歩に行くよ!」とお袋にうながされて向かった先は、近所に新しくできた霊園だった。
「ここの…え〜と、ああこの場所だ。あのね、父さんと母さんここ買ったから。もうお金も払ってあって、死んだら電話1本で、葬儀のあれこれを全部やってくれることになっているから…父さん母さんが死んだときは電話だけ頼むね」とお袋。あいかわらずウェットな話題をさらっと片づけるヒトだねどうも。

夕陽が気持ちよく当たる土地だった。全宗教全宗派ウェルカムな霊園だそうで…モダンなつくり。『ゲゲゲの鬼太郎』っぽさは皆無。管理棟なんかスペイン瓦で南欧風だし。
「墓は故郷(宮城県栗原郡)に立てようかとも思ってたんだけどさ、そうするとお前が面倒だろ。だからこっちに立てることにしたよ」 ……親父とお袋、私が知らないウチに自分たちでいろいろ考えてたんだ。しかもいろいろと気ィ遣いながら。頼りない息子たちで申し訳なく思う。そして、お袋が言葉を続ける。「まだまだ入れるからな……うははは」。


う〜〜〜〜ん、そう来たか。これはちょっと気まずい。なぜなら私は、自分が死んでも墓に入る気はまったくないので。
私は、死んだ後にまで狭いところに閉じこめられたくないのだ。それから死んだ後の居場所にまで大金を遣いたくないのだ。また大金の払い方次第で使う漢字まで変わるような長くて妙ちくりんな戒名をつけられたくないのだ。

「悪りィ、オレは自分の骨は海にまいてもらうことに決めてるから」。そうお袋に言った。「なぁに言ってんだよ……うははは」とお袋。どうも私が冗談を言ったんだと思ったらしい。まあ今この場で説明しなくちゃならないことでもないので、この話はそれきりにしておいた。


まだまだずっと先の話だが(少なくともそう願いたいが)、私は自分が死んだら骨は海にまいてもらいたい…そう願っている。散骨されて海原をゆらゆら漂いたい……そして魚に食べられたい……そうやって自然の一部に還りたい。食物連鎖の輪の中に入りたいのだ。
わざわざ墓参りに来てくれるんじゃなくて、ドライブや電車の窓からやテレビの画面etc.でたまたま海を見たときなんかにふと思い出してくれるほうが、オレ的にはありがたい。「オレのひい爺ちゃんは、いまは海の底にいるんだぜ」「え…どういうこと?」「へへへ、じつはさ……」てな具合に、ひ孫がガールフレンドと海水浴に行ったときの話のネタにでもしてくれたら、そりゃ本望だ。もういつ死んでもいいや……って、だからとっくに死んでからの話だってば。
…と、50年後の世界を妄想する私であった。



※「死んだら魚に食べられたい」私ではあるが、「魚に食べられて死にたい」ワケじゃあないよ。『オープン・ウォーター』は今週末より渋谷シネクイントほかで「“骨まで凍る”ロードショー」<http://www.openwater-movie.jp/