『クローサー』を観る

Tuduki2005-06-05

ジュリア・ロバーツナタリー・ポートマンジュード・ロウら美男美女揃いの豪華キャストで贈る、男女4人のドロドロ愛憎ドラマ〜」
……と、【@ぴあ】のサイトで紹介されている映画『クローサー』。
“美男美女揃い”と書いておきながら、よくよく見ると“男女4人”の名前が揃っていない。「オレひとりだけ、“ら”呼ばわりかよォ…」というクライヴ・オーウェンの嘆きが聞こえてきそうだな。まあたしかに彼については“美男”と認めるには異論があるところだけれど……この扱いはなんだか気の毒だ。


大好きなジュリア・ロバーツの顔(つまり岡田美里の顔も好きだ)と、ナタリー・ポートマンの妖艶な姿態という触れ込みに惹かれて劇場に行ったのだから、個人的な用事は十分に済ませたわけだが……拍子抜けするほど、よくあるお話だった。

クローサー』や『アメリカン・ビューティー』ほか愛憎の悲喜劇を描写…と謳った洋画を観るたびに毎回考えるのは、全盛期の柴門ふみ作品の巧みさ。どれだけ“斬新な描写”という前評判だろうと、あの当時の柴門ふみのマンガにまったく追いついてないよなぁ…と思う。
クローサー』はそれ以前に、世間によくありがちな既視感たっぷりのストーリーだったから、女性誌なんかの読者による恋愛&不倫体験談(という名の妄想?)のほうが、新鮮なネタで転がし甲斐があるよなぁ…と思えた。登場人物の感情の機微も、なんだか一本調子だったし。

ただ、
ひとつひとつの場面がそれぞれ独立して切り離されていて、出来事の決着がわかる前にひとつの場面が終わり、次の場面では登場人物も時間の経過も大きくジャンプしていて、「結局、さっきの決着はどうついたのよ」とか思いながら観ているうちに、だんだんその状況が判ってくる…という技法は、「ほほぉ、巧い!」と思いました。そのおかげで注視力が保てたし、覗き見的好奇心をくすぐられた。

でも、ラストの思わせぶりな(しかも手垢まみれの何度も見飽きた)小ネタで後味まるまる台無し。