権太坂の思い出

Tuduki2005-05-30

ヴァーチャル東海道の旅、いまだ停滞中。正確な計測をしようと万歩計を買ったのだが……いつも着け忘れる。ちょっとカッコ悪いなとポケットの奥へしまうのが敗因だ。

ということで、現在はまだ程ヶ谷宿のちょっと先でウロウロ。正月の箱根駅伝でいえば、各校のエースが競う「花の2区」の、なかでもさまざまな名勝負やドラマが生まれた難所〜権太坂(ごんたざか)のあたりだおそらく。クルマを運転する方々には、横浜新道と保土ヶ谷バイパスハマスカ道路を繋ぐ「狩場インター」付近…と言ったほうが判りやすいだろうか。
私が通っていた高校が、ちょうどその権太坂に位置するものだから、万歩計の目盛りだけのヴァーチャルな旅なのに、なんだか懐かしい思いがする。……高校生活は嫌いだったはずなのに、嫌いだった記憶さえも懐かしくなるものだ。


権太坂」という名の由来は、東海道をゆく旅人が、あまりに坂が厳しくて、たまたま近くにいた農民に「(この坂の)名前はなんというのだ?」と尋ねたところ、その農民は自分の名前を訊かれたものとカン違いして「権太です」と答えたから…という、なんとも間抜けなもの。もちろん他にも諸説あるのだが、坂が厳しかったというのは事実のようで、権太坂の途中で疲れきって死んでしまった旅人を供養(というか処分?)する投げ込み塚も、史跡として残っている。

因みに、あんまり関係ないけど有名になる前の矢沢永吉がその投げ込み塚付近のアパートで暮らしていたそうだ。もひとつ因みに、権太坂とよく似た名前でオシャレな白金近くにある「権之助坂(ごんのすけざか)」は、貧しい農民のために直訴して死刑となった江戸時代の名主、菅沼権之助の名が由来だ。権太と権之助ではだいぶ違うなぁ……



横浜の外人墓地といえば山手のが有名だが、権太坂〜狩場近くにも「英連邦戦没者墓地」という外国人墓地がある。
「静かだし外国っぽい雰囲気がいいんだよ」と、高校生のとき悪友の田中に案内され、女のコを連れてく“予習”のつもりで下見に行った。……たしかに敬虔な雰囲気はデートスポットにイイじゃん、ひと気も少ないしなエヘヘヘ。とか思っているうちに、少々微妙に年齢高めのカップルが登場。「チューでもするんじゃないか」「いやいやチューじゃすまないかもよ」などと思春期の高校生にありがちな会話をしながら、さりげなく距離をとりながらカップルの様子をコソコソのぞき見していた。
ところがいつまでたってもチューする気配にならない。ってゆうか、なんだか向こうもさりげなく距離をとりながらオレ達の様子をコソコソのぞき見してないか……? 
なんてこった、我々のほうも「チューでもするんじゃないか、あの少年たち」と思われて観察されていたのだ! 
近藤真彦の髪型〜いわゆるマッチカットが全国の色ボケ男子高校生の間で大流行だった当時、近所の美容院に明星ヘアカタログを持参して「こんな感じにしてください」と注文していた私と田中はもろに当時のジャニーズ風。ひと気のない墓地に男子高校生ふたりっきりでは、誤解されるのも無理ならぬことか。


そんな私が(そして田中が)通っていた高校は設立時、当然「権太坂高校」と名付けられるべきだったのだが、生徒たちが自分の高校を応援するのに「フレー、フレー、ごん太!」では可哀想だという、おせっかいな教育的配慮のもと、地域の伝統や故事来歴とはなんの縁もゆかりもない〜それどころかワープロで変換候補の漢字にもなっていないような、人工的なまがい物の学校名となった。



※写真は「できるかな」のゴン太くん。もちろん権太坂の伝統や故事来歴とはなんの縁もゆかりもない。