卒業式よもやま話

Tuduki2005-03-15

職場の近所にある女子大が卒業式だったらしく、『ハイカラさんが通る』のコスプレをした卒業生が街中にあふれていた。

華やかで鮮やかな色とりどりの、まさに “春のお花のような”若い女のコたちを眺めて微笑ましく思う…と同時に、枯れたなぁオレ…とも思う。もう女子大生を見てもワクワクしないんだもの。仕事にかこつけて(いや実際にシゴトではあったのだが)、海岸やCLUBで可愛いコはいないかと何時間もずっと目を光らせては熱心に女子大生に声かけてた時代が、幻のようだよ。若いころはホントにそんなことやってたんだっけ?…と、春霞の向こうに虚ろに消えゆく春眠の夢のごとく思えてくる(←時節柄、無理矢理春を並べてみました)。
まあ女子大生にわくわくすることはなくなったけれど、30歳くらいの美女を見かけると今でもちゃんとワクワクできるので(爆)、自分の中の“オス”が死んだわけではないと思いたい。あと7〜8年してから、今日の彼女たちを改めてもう一度じっくり眺めたいモンだと思います。……もっともそのころには、40歳くらいの美女にしかワクワクできなくなっているかも知れないけれど。

卒業生のカノジョを迎えに来ている男子諸君もいた。花束持ってカノジョが出てくるのを待っている男のコもいれば、カジュアルというか「寝起きのまんま来ましたマンガ喫茶で時間つぶしてましたゲーセンも行きました」みたいな男子も思いのほか複数いて、そんな輩には、卒業式なんだからカノジョの両親に出くわす状況も想定して好感度の高いカッコしなさいよ…と注意したくなった。だいたいカノジョだって、友達の手前カッコ悪い思いするよなそれでは。友達のカレはオシャレして花持ってるのに、自分のカレ氏はいつものジーパンにスニーカーじゃあ、晴の日だというのにとんでもないハズレクジを引いた気分になったことだろう。そうして今日きっと学生時代の恋物語のいくつかは終わるのだ。
まあ今回ジーパンにスニーカーでしくじった男子諸君も、この教訓を今後に活かせばいい。あいにくカノジョの卒業式はもう二度とやってこないけれど……新しいカノジョたちの卒業式はこれから先、何回も何回もやってくるのだから。

私の世代では、ガールフレンドの卒業式を迎えにいくときに、めいっぱいのオシャレをして花束をもっていくのは当然のツトメだった……まあバブル絶頂期だったから。たいていはDCブランド(←死語?)のスーツだったと思われるが、当時ライブハウスで知り合ったパンクスは、オレ様らしくパンクスにふさわしい正装を…と思い立ち、わざわざ真っ白なパンツに真っ白な皮ベストそして真っ白なリストバンド(言うまでもなく鋲つき)をあつらえたそうだ。そして真っ赤なバラの花束をかかえ、花束の色とコーディネートした真っ赤なバンダナを右脚に巻き(←このへんのセンスがまったく不可解)、さっそうとガールフレンドの前にあらわれたらしい。「カノジョ、引いてなかった?」「あったりまえじゃん」。“あったりまえ”をどちらの意味にとるべきか窮したが、パンクスとつきあうようにはとても見えないお嬢様学校卒業のそのガールフレンドは、ライブには欠かさず来ていたから……まあ今さらどちらの意味でも別にどうでもいいや。

かくゆう私も、クルマの後部席に大きな花束を載せ、ガールフレンドを迎えにいった経験がある。そして感じのよいイタリアン・レストランで食事した。「私も社会人になって忙しくなったらすれ違いも多くなるんだろうね……でも1年後もまだつきあってたら、またここでディナーしようね」などとしんみりするような台詞を彼女はつぶやいた。

……結局1年後のディナーは実現しなかった。
彼女のせいじゃない…私が悪いわけでもない……。半年もしないうちにそのイタリアン・レストランが焼き肉屋になってしまったのだ。


※写真がなぜ卒業式には関係なさげなデヴィッド・ボウイかというと、なにをかくそう私自身の大学生時代の最大の憧れの御仁だったから。’90年、彼は「もう二度と昔の曲は演奏しない」と宣言して最後のワールド・ツアーを敢行した。たまたまその日本公演のチケットの発売日が私自身の卒業式の日になってしまい、電話予約してから卒業式会場に着いたら「1時間以上の遅刻者は入場できません」と門前払いを食わされた。最後のボウイLIVEのために卒業式を出られなかったというのもオツな話だぜと思った私だが…………数年後にあっさり前言完全撤回したデヴィッド・ボウイは、現在もなお昔の名曲を世界中で歌い続けている。