今ごろ、今さら、妻マニア

Tuduki2005-02-15

弱ったことに…また自分でも信じられないことに……今ごろ「妻マニア」になってしまった。それも「人妻マニア」ではなく「自分の妻マニア」なのだから、タチが悪いというか健全すぎるというか…………困ったものだ。

一応アタマのつかみということで、「妻マニア」などと謳ってみたが、まあ実態はそんな大袈裟なものではないかも知れないが。それでも、外で仕事仲間などと旨いモン喰って飲んでいる最中に「ああ、早くウチ帰ってヨメさんとビデオでも観ながら酒飲みたいなぁ…」なんて考える30代後半というのは、我ながらどうも妙に思えるのだ。仕事や仕事の付き合いなどダシにして、私とは逆に妻からなんとか逃げようとするのが、この年代なんじゃないのかフツーは? だが現実に、妻と飲んで会話するのが現在イチバン楽しいのだから仕方ない……まったく困ったものだ。

昨秋でちょうど結婚10周年。そのせいで年末の旅行のときDFSでティファニーのなんたらを買わされ、おかげで昨日も今日も私の昼メシはカップ麺じゃないか。……まあ悲惨な現実はさておき、結婚して10年経ってみると、かなり正確にお互い調弦(チューニング)されてきたように思える。TV番組や映画を観ても、笑いどころ泣きどころ怒りどころはほとんど同じだし。つまり要するに、家で妻と会話するということは、もうひとりのおんなじ自分と会話しているようなモンだ。だから気分いいのだなきっと……。なにしろ私の場合、妻相手に話すジョークが最も下品で不道徳だから。よそ様と交わす会話では、遠慮があったり人格を疑われるのを避けたりで、私だけでなく誰もがセーブをかけるものだと思うが、私の場合は、妻相手には遠慮なく下品で不道徳で不謹慎な会話ができる。もちろんジョークはバカウケだ……だって、相手は“もうひとりの自分”なのだから。

まあ、インドネシアとかの民族音楽には、わざと微妙に調弦をずらして合奏することで、ずれた共鳴で音をウワンウワンさせて独特の広がり感を持たせるような技法もあることだし、正確に調弦された妻(=もうひとりの自分)とばっかりでなく、たまにはいろんな女性と飲んで会話して、“独特の広がり感”を楽しみたいものだと思います(爆)。


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きみに読む物語』を観た。すすり泣く女性客もいたが、ありがちすぎる展開とわかりやすすぎる演出が、私にはちょっと「……」だった。ヒロインにもまったく魅力を感じなかったし……なにしろ私は「我が妻マニア」だから。けれど、“きみに物語を読む”理由がわかった場面はよかったなぁ……なるほど、あの本はタイム・マシーンだったのか! 時空を超えてふたりが再会してことばを交わす場面では、じつは私もすすり泣きました。でもラストはありがちすぎて最低。

そうこう文句を言いながらも、映画を観たら妻の顔を見たくなった……なにしろ私は「我が妻マニア」なので。一応バレンタインデーだしな、ワインとつまみを買って早く帰ろう。そして下品で不道徳で不謹慎な会話を妻と楽しもう!

……帰宅したら、まだ21時すぎだというのに、既に妻は子どもと一緒に熟睡していた。…ったく、それこそ“ありがちすぎる展開”じゃないか!