神田明神を訪れる

Tuduki2005-01-31

午前中のキン!とした空気がまだ残っているうちに、神田明神を詣でてきた。

毎年、仕事始めする時期に、ひとりで神田明神詣でをするのが私の新年の恒例となっている。今年はだいぶ遅くなってしまったが、それは自宅の近くの神社に、先週末まで「初詣」に行ってなかったせい。神仏のたぐいはまったく信じてないし、むしろ信仰に熱心な人とはお近づきになりたくないと思っている我が家だが、地元の氏神さまへの敬意というかマナーというか順番最優先のココロは、なぜか毎年すごく大切なことになっている。

それはさておき、神田明神といえば“江戸の天下祭”として知られる「神田祭」で有名な神社だが、私にとってはなんといっても平将門公を祀っている神社としてインプットされている。
平将門といえば『帝都物語』で東京壊滅を企む加藤に召喚された怨霊で、京ではねられた将門公の首がピューンと飛んできてポトリと落ちたという「将門首塚」が今でも大手町のビジネス街に残っていて、周辺の会社の役職者はこの首塚の向きに失礼のないように机を配置しなかったら、やれ死んでしまうだの病気になるだの出世できないだの…といった伝説をいまだ現役で紡ぎ続ける、たいそう強力なパワーを有する怨霊である。が、神田明神(この場合は神田神社と書く方が正しいのかな?)では、将門公は守護神として祀られている。もともと怨みを慰め祟りを鎮めるために祀られた将門公は、今では神田の守り神なのだ。

帝都物語』や都市伝説では強力な怨霊=ヒールの親分みたいな将門公だけれど、どうにも好きなんですよ私は。みずから「新皇」と名乗って都の帝に反旗を翻した坂東(関東)の英雄だから…みたいなこというと、歴史物好きのオッサンみたいだけれど。
でも、将門公が世に名を轟かせて歴史に名を残すことになるそのエピソードよりも、若い頃には他の貴族や地方豪族の子息の定石どおりの出世を目指して一度は都で仕えたのに、「やっぱりオレは、都で出世のために偉いヒトの顔色うかがうよりも、畑を耕したり馬を育てる暮らしのほうがいいや」とかなんとか考えてサッサと国(いまの茨城県岩井市)に帰っちゃったキャラクターのほうが、私は好きだなぁ。

都(京)での出世競争をさっさとやめて田舎暮らしに戻った将門公が、都(TOKYO)の出世競争の勝者の机の配置にニラミをきかせてる…ってことになってるのも、ワタシ的にオモシロイ。
結局、平将門は、日本初のUターン就職者であり、日本初のスローライフ提唱者なのだ!……ちがうか、ちがうな。ちがうけど好きだなぁ私は。あれこれと将門公に思いをはせつつ缶ビールをすすっていると、社会科見学の小学生の団体がやってきた。大勢の小学生の前でビールというのは、ちょっと恥ずかしいねと思う。

なお、神田明神には銭形平次の記念碑もあります……碑をつくったのが某TV局や出版社というところが、なにやら宣伝物クサイけれど。